無欲の勝利とは
夢がこんな内容だったからなのかな、今朝ふと思った。
私はたぶん欲深くない。たぶんってついてる時点でなんだかなあ、という感じだけど…。
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これまで高校入試や大学入試という節目には恩師や両親から「一番したいことは何か」を問われ、私はそのたんびに小さい脳みそをフル稼働して知恵熱を出していた。と、同時に「本当に覚悟はできているのか」とも言われた。
これまで音高→芸大と進学してきて、学生生活の大半を音楽の勉強に費やしてきたわけだが、正直音楽だけで生きていくのってとても難しい。だから何度も言われてきた「本当に覚悟はできているのか」。
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昨晩父が「一番欲しいものに使えば?」と言ってきた。ある事情でまとまったお金が臨時収入的に入ってくるのだ。そう聞かれるといつも言葉につまる。なにがなんでも欲しいものってのがないからだ。
熱烈に手に入れたいものってなんやろう…。
(あ、そうだ。父からこんなことを言われたからこの記事を書いてるんだ。夢はたぶん関係なかった。)
お金はあるに越したことがないけれど、それを言ったらもともこもない。かといって「物」が欲しいわけでもない。美味しいご飯は大好きだけど特別高いコースを食べたところで、空腹時に食べる吉野家の豚丼に勝るものはないと思うし。
いろいろ、思いつく限りの「欲しいもの」を脳内でリストアップしてみたけどやっぱり思いつかない。
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「まなちゃんの演奏には情熱が足りないと思うの」何回も言われてきた。
昔からそう。幼少から物を奪い合う環境にいなかった。欲しいと思ったおもちゃやお菓子。幼稚園に入り生まれて初めての集団生活。使っていたスコップをなにも言われず友達に取られたとき、ブランコに乗った先客に「かーわってー」と言ってもまったく変わってもらえる気配がなかったとき、使おうと思って見つめていた一輪車を横から取られたとき、何も言い返せなかった。
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私が少し我慢したらいいだけ、そうしたら波風は立たない。そんなマインドで20年は生きてきた。けれど多分このままではいけない。いつか絶対大損するし、後悔するときが来るはず。
自分よりもっと欲しそうにしている人をみると、きっと私より大切にしてくれるはずだろうし、と身を引いてしまう。別に上から目線な訳じゃない。素直にそう思うから。
そうか、一度とことん我慢してみたらいいのか。そうしたら情熱的になれるのかもしれない。
もしかしたらこれからの人生、なにかのきっかけでめちゃくちゃ強欲な人間になるのかもしれない。だからそれまでの間は無欲の勝利をあわ〜く期待しつつ生きるのもまあアリなのかもな、と書きながら思った。
結局なんも答えでてへんやんけ。
オチどこいった。
オチに対する欲はあったようだ。
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