もはや過去のライフプランは無意味になった
私が思うに、ライフプランは価値観の集合体である。
夢や目標はそれ自体に価値があるから関心を持つが、全く関心がないものには価値を生み出さない。
フルマラソンを3時間半を切るといった目標に挑んでいる人も多いだろう。
実際に3時間半を切るランナーは全体の10未満だと言われている。
市民ランナーは仕事をしながら時間を作って日々練習して挑んでいると思うが、この3時間半を切ることに価値があると思っているから努力が出来る。
私はマラソンはしていない。
なので3時間半を切ることに関心はなく、価値観もない。
私は釣りが趣味だ。
しかもルアーフィッシングに20年以上はまっている。
いろんな形のルアーを集めているが、釣りをやらない方にとってはそのルアーに価値観はない。
たぶん、関心が無いので同じものに見えるだろう。
このように価値が夢となり目標となる。
ライフプランの話に戻ろう。
今までのライフプランは既定の価値観で設計していたことがほとんどであった。
まず、社会に出たら経済力を養い、結婚をし、子どもが出来て教育費の心配をし、憧れだった夢のマイホームを持ち、子どもを大学まで行かせた後に自分たちの老後資金を心配して、リタイア後は悠々自適な旅行三昧の老後を過ごすといったプランが規定プランだった。
この規定プランに疑問を持つこともなく、ほとんどの人が同じ価値観で人生を過ごしていた。
昭和~平成にかけてはこのような価値観の教育が中心であったが、平成の終わりのころや令和になってこの規定の価値観に囚われるのに違和感を持つ人が増えてきた。
これが価値観の多様化になり、今までの先入観だった価値観を見直すようになった。
教育についてもみんなが必ず同じような教育を受ける必要があるのか?
個別の能力や関心に応じて伸ばすような教育がいいのでは?と考える人が増えてきた。
結婚観も以前とは少し変わってきたように感じる。
夢や目標に中に結婚が含まれていたのは昔のこと。
逆に結婚に価値を感じない人の増えてきた。それが結婚年齢を上げていたり、少子高齢化の加速にもなっている。
これが進むとライフプランが大きく崩れ、教育費とマイホームと老後が同時に訪れるようになる。
また、夢のマイホームという価値観も変わってきた。
高いお金を借りてマイホームを取得したものの、住宅ローに追われる日々に幸せを感じない世代が増えてきた。
最近では中古の住宅をリノベーションしたり、田舎暮らしを始める人も少なくはない。
このような変化の中で、新型コロナウイルスが更に私たちの生活スタイルを大きく変える問題提起をしてきた。
コロナ禍でこれまでの価値観が大きく変わてきた。
それが仕事に対しての働き方。
そして会社や社会に対しての依存。
当たり前だった暮らしが、あっという間に別の暮らしになった。
しかし、何かに依存していた私たちにはなかなかそれが受け入れ難い。
そこで私たちが気づかされたことが、価値観が変わってきたことだ。
いや、変わってきたというよりも変わらなければいけなかったのだろう。
仕事の在り方について、働く環境について、働く場所について、人生について、生き方について、いろいろと考えるようになってきた。
価値観が変わればその集合体であるライフプランが変わってくる。
今までの価値観が変われば、今までのライフプランは意味を無くす。
一生懸命に規定の価値観で設計したライフプランは大きな修正を余儀なくされる。
そしてこれからのライフプランは単純なライフプランではない。
価値感が複雑化してフレキシブルに変化していく。
決して既定のライフプランでは収まらない。
何故なら、これからはマルチステージへと変化していくから。
マルチステージについては別のコラムで書いているのでこちらを参考に。
https://note.com/natsuaki4354/n/n8c6646929b51
これらのマルチステージでライフプランを設計するとパターンは無限大になる。
1つ2つのライフプランでは意味はない。
そのライフプラン通りになるのは、宝くじで当たるような確立かもしれない。
現在でもファイナンシャルプランナーや保険営業パーソン、住宅メーカー、証券会社でライフプランを作成しているだろうが、未来を予測するのには無理がある。
ライフプランを作るためにクライアントにその手間と時間を奪うのも恐縮する。
ただ、クライアントの行動を促すのには効果的だろう。
残念ながら、今作成しているライフプランは何らかの行動をしてもらうためのアイテムでしかないと捉えた方がいい。
そう考えるとライフプランも納得できる。
ライフプランは決して悪くない。
その人が行動を起こす第一歩の扉だから。
ただ、未来を予測するのはライフプランでは出来ない。
それは誰もに予測できない。