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「ちょっとふつうじゃない」に苦しむ私たちへ #未来のためにできること



未来。


日本語も外国語も宇宙語もリアルタイム字幕が映し出されるメガネ、空飛ぶ靴、自然と対話できる人々、戦争と国境のない世界。


まてまて、
そんなドラえもん的未来のことじゃない。

私が生きる今の延長線のことだぞ?
どんな未来であってほしいか。


あぁ、分からない。


蘇る記憶。

2013年の東日本大震災。
私は、大学生ボランティアに応募し、現地へ赴いた。そこで見た景色ーひん曲がった大木、止まったままの校舎の時計、なくなった街に、衝撃を受けた。だから滞在中、一生懸命働いた。行って良かった。何か大切なことを学んだ気になった。何かが変わる気がした。そして家に、帰ってきた。
震災の傷跡を目にすることない日常のなかで、悲しいほどに熱はさめていく。
思い続けられない自分、行動し続けていない自分が、弱くて薄情で嫌になった。


人のため、日本のため、未来のため…
私には、そんなすごいことはできない。





2024年、息子が生まれた。



抱きしめていると自然と涙がこぼれるほど愛おしい。


そして思った。




「この子の生きていく未来が、平和でやさしくありますように。」


あぁ自分勝手だ。この子のことなら未来を願えてしまえる。



未来のために、今度こそ。私には何ができる?


思い当たることがひとつある。

というか、これしかない、使命のようなものが。


私は生まれつき中等度難聴で、耳が聴こえにくい。そう、聴覚障害者なのだ。
でも中等度ってところがミソ。うまくやれば隠せる、隠さねばと思い込んでしまったせいで、腐るほど悩んできた。


だから私は、知っているつもりだ。


誰もが自分の「ちょっと、ふつうじゃない」に苦しんでいることを。


でも

聴こえるか聴こえないかじゃない。
障害のあるなしじゃない。
0か100じゃない。
良いか悪いかじゃない。
目に見えるもの耳で聴こえるものだけじゃない。

中途半端で、曖昧で。
バリエーションで、グラデーション。
それが人間なんだ。


自分も相手もまるっとあるがまま敬愛できれば、すこし平和でやさしい地球になる気がする。
ちがうものを排除したり、言葉や暴力で攻撃したりするんじゃなくてさ。


私は、中等度難聴に生まれたお陰で知ったことを、書くことができる。書きたい。



私のささやかな文章が、これから難聴をもって生まれてくる子どもたちの、
めぐりめぐって誰かの何かの琴線にふれられたらなと思う。



ちなみに冒頭の未来希望図は、いつかほんとうにそうなるんじゃないかと、思っていたりする。

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