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京都、東京

キャッキャ、と軽やかな声を上げる恋人たち。
深夜のスーパー帰り、それはゆうに2:00をまわっていただろうか。
男が大きな大根を女のフードにすっぽりと入れては戯れていた。
そんな2人を横目に人通りの少ない路地を自転車で蛇行して帰路に着いた。
そういえば昨日も楽しいカップルを見かけたな、と思い回想していた。
男が女の肩に手を回して歩いていた。
手を繋いだり腕を組んだりするのはよくある光景だが、肩に手を回すカップルは見たことがない。
良いな、と思った。

「ゼブラパン」と書かれた茶色の生地にシマウマのイラストが描かれたTシャツを着て、麦茶だけを持って歩いている男がいた。
ズボンの途中に切れ込みが入ったものを着用した女を1日で2人見た。
同じ場所で同じ時間にすれ違う、アトピーで皮膚がボロボロの男と1週間に3回すれ違った。
友達と顔と歩き方がそっくりの女を1ヶ月に2回見た。
クレヨンしんちゃんとみさえの身長の比率は案外正しいのかもしれない。
まだ小学校低学年ほどなのに、眼鏡をかけてリュックを前に担ぎ、本を読む少女を見てそう思った。
私のへそないし腰までしか身長がないであろう少女。

街を行く当てもなく散歩をするのが好きだ。
薬院から天神、さらには博多までよく歩いた。
初めは電車を使っていた。
途中から徒歩3、40分もすれば目的地に着くということに気がついた。
知らなかった飲食店に気がつく。
気が付かなかった街の変化に気がつく。
大学が嫌になった時は京都が私を受け入れてくれた。
泣きながら親戚に電話をして、四条河原町の一蘭でラーメンを食べた。
福岡出身の私が何故京都で一蘭を食べているのか意味がわからないが。
三条から歩いて白川通りの喫茶店まで行った。
夜の京都は良い。
京都には思い出がたくさん詰まっている。

私はあの人の言葉が好きなのだと気がついた。
人生いろいろ、パンダもいろいろ。
いい語感。声に出して読みたくなる。
私は彼が好きだったのだと思う。
けれども彼にとって私は、その28年という人生の中で出会ったある女であり、何でもない存在なのだと思う。
そう思い知らされた。
もう疲れてしまったよね。
ごめんね、私も疲れてしまいました。


みぎをみて ひだりをみて

痩せにこだわった一年。
他人は自分が思っている以上に私のことを見ていないのだと思った。
10kg痩せても痩せた気がしないし、6kgリバウンドしたら20kgほど太ったような感覚になる。
外食と風呂が嫌いだ。
脂質と糖質の多い食事を取りたくない。
自分の醜い体を見たくない、撫でたくない。
それでも太っていたときに好きになってくれた人のことを思い出す。
それでも痩せてから好きになった人に振り向いてくれなかったことを思い出す。
見た目じゃないのよ、と。
これはもう自分への際限ない執着である。

「次は京都です」
車内アナウンスと共に、イヤホンからくるりの東京が流れた。
京都への愛着と安堵。
東京への憧憬と羨望。
私はこれからも色々な人とすれ違う。
その度に日記に書いてなんとなく大切にするだろう。
街を歩く。
また京都のように私を受け入れてくれる夢現な街に巡りあいたい。
みぎをみて、ひだりをみて。

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