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私のアルバム

それはまるでアルバムをめくるように。
写真を一枚一枚なぞりながら見るように。
記憶を掘り返して写真と照らし合わせるように。

人との会話を何故か鮮明に覚えていることがある。
ふと、あの会話面白かったな、と懐古する。
それは形に残らない私の過去の記憶。
もし相手にその瞬間の記憶がなかったら、その会話がなされた証拠はもはや無いに等しい。
けれども重要なのはその会話があったか否かではなく、私が独りよがりにその瞬間を大切にしているという部分にあるわけで。

相手の言葉が残像のように浮かび上がり、私は嬉しくなって高揚する。
そんな夜があって良いと思う。
むしろ、そんな夜しか来ないで欲しい。
そんな多幸感に包まれて眠る。

依存先の分配はとても大切で、資産のリスク分散のようなもので。
何気ない友達との瞬間をアルバムに書き留めている。
好きな音楽と映画とを愛でる。
時々私自身と一緒にお出かけをする。
1人でいるのに私と2人で遊びに行くような感覚である。
私と私自身はとても趣味が合う。
もちろん、私自身なのだからそれはそうなのだけれど。

私のアルバムを形にできないのが悲しい。
文章に書き起こしてもその時のあの淡い情景は、有名画家に高額なお金を払っても、生成AIを使っても、再現することはできない。

私の、あるいは相手の頭からその瞬間の記憶がなくなれば、その事実はシュレディンガーの猫となる。
私のこと忘れないでね、という傲慢さを許して欲しい。

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