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しあわせバター

カーテンの木漏れ日が瞼に入ってきて目が覚めた。
昨晩カーテンをしっかりと閉めず眠りについた自分を少し恨んだ。
立ちくらみにならぬようゆっくりと体を起こした。
洗面所に立っていた私は目ヤニ、くま、寝癖まみれであった。
「太陽の光で目が覚めるなんて、まるでプリンセス。」
鏡に映る汚い女を見てそう呟いた。

おもむろに空腹に襲われた。
冷蔵庫を開けると玉ねぎが一玉と、いくつかの調味料があった。
玉ねぎのスープを作る気力もないので、コンビニに行こうと思い財布を探した。
カバンの中にも机の上にも無い。
どうして定位置を決めなかったのだろうとまた自分を少し恨んだ。
しばらく部屋をうろうろしていると、一昨日家に帰ってきた際、玄関に財布を適当に置いたことを思い出した。
見つけた財布としばらく睨めっこをした。
「いつも私のことを探していますよね。あなたにとって1、2位を争うほど大事なものじゃないんですか。」
と財布は言った。

まだ10:00というのに太陽は元気だった。
重たくぬるい風が私の頬を撫でる。
足早にコンビニへ向かった。
自動扉が開くと同時に元気な店員の声が聞こえた。
遅れてひんやりとした風が全身を包んで気持ちが良かった。
当てもなく食品コーナーを見て周った。
しあわせバター。
そのスナック菓子には大きな文字でそう記載されていた。
値札に目をやると、128円だった。
バターにしあわせを感じる。
そのしあわせを128円で買う。
幸せの閾値の低さに心底羨ましく思った。
パッケージにはさぞかし幸せそうな顔のキャラクターが描かれている。
私の幸せはそんな安物ではない、と反骨芯からコンビニを出た。

家に着くと改めて自分の空腹感を自覚した。
太陽の光で体力が無くなってしまい、布団の上で項垂れた。
コンビニに置かれてある、たかが100円ちょっとのスナック菓子に憤慨している自分が情けなくなった。
いつからだろうか。
何気ないことに突っかかって、考えるようになったには。
私は他の人が考えないようなことまで至る人間だと誇っているのだろうか。

高校生の頃、幼少期に見ていたディズニー映画を見返したことがある。
その映画は1951年に公開された映画である。
映画を見て驚愕した。
台詞はほとんど無く、クラシック音楽と共に自然や動物たちが季節を巡る。
この映画、何が好きであんなに見ていたのだろうか、と不思議にすら思った。
台詞が少ないのと、幼少期にビデオが擦り切れるほど見たのもあって、キャラクターと一緒に台詞を言えるほどまで記憶していたことにも驚いた。
ディズニー映画は50年代から70年代後半までの作品が好きだ。

昔好きだったものと言えば、先月中高校生の頃によく読んでいた小説家の本を読んだ。
恋愛ものばかり書く作家で、私は主人公の不器用さとお相手の女性の妖艶さに心を躍らせていたのを覚えている。
けれども再び本を開いて読み進めていくと、全く面白くなかった。
あまりに直接的な表現。
こんなもので恋に落ちるだろうか?と興醒めしてしまった。

私は婉曲的な表現を使ってしまうから、相手との軋轢が生まれるのだろうか。
いやいや、私の遠回しな表現を汲み取れない情緒のない男が悪いのだろう。
いやいや、と汚いプリンセスと対話した。
汚いプリンセスは、
「音楽でも聞きなよ。」
と乱雑に言った。
「そうね。」
とだけ言って、私はお気に入りの曲を流した。
枕に顔を埋めてしばらくその曲と地球の重力を感じていた。
ふと、幼少期に見ていたディズニー映画の音楽を聞きたくなった。
再生ボタンを押すと部屋が一変した。
映像はないのにもかかわらず、鮮明にその場面が浮かんだ。
クラシック音楽なんて聞かない。
それでも心地がよかった。
なんの楽器かも分からないけれど、音が軽やかに踊る。
目ヤニもくまも、寝癖まで可愛らしく思えるほど、プリンセスの気持ちになって体を起こした。
「歌詞がない音楽も良いね。」
汚いプリンセスは黙って曲をを聞いていた。

しばらく音楽に浸っていたが、いよいよ空腹が限界に達していた。
「ねえ、何か美味しいものを作るか買ってくるかしてくれないかな。」
汚いプリンセスはめんどくさそうに背を向けた。
空腹を紛らわすために3度寝返りを打った。
それでも自分のお腹が唸っている。
手早く机の上に置いてある煙草とライターを取り、窓を開けた。
むわっとした風とけたたましい蝉の鳴き声。
一口目を思いっきり吸い込む。
息を吐きながら空を見上げた。
私は、ベランダから見えるこの空が好きだった。
真っ青なキャンパスに立体感のある夏仕様の雲が遠慮がちに広がる。
部屋から微かに聞こえる音楽と蝉の声が重なって汚かった。
夏だなと思う。
夏が来たと思う。
夏はいつも私たちに幻想を見せて去っていく。
夏を待ち遠しく思う時間は長い。
四つの季節は平等に訪れるはずなのに、いつも夏が待ち遠しい。
夏になっても夏が待ち遠しく思う。
「ねえ、今年の夏はどこに行こうか。」
もう1人の私、汚いプリンセスに問うた。
「海に行こうよ。」
「夏の海は良いね。とても良い。」

夏にバターを使うのはあまりにもくどい。
味も匂いも重たくって、胃もたれしてしまう。
しあわせバター。
バターの味は何歳になっても変わらない。
不変なものを幸せだと思えるのなら、何歳になっても幸せなのだろう。
私は均等に切られたバターのようにはなれない。
どのバターよりも早く溶けて無くなってしまう、そんな気がする。






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