東奔西走
大雨で午後の講義が無くなるらしい。
当時仲良くしていた友人から電話がかかってきた。
今すぐに大阪へ行かなければいけないらしい。
JR琵琶湖線、京都線は姫路から米原までを結ぶ非常に長い路線であり、人身事故や災害の際にしょっちゅう遅延する。
返事一つでレンタカーを予約した。
彼らをどこに降ろしたのか記憶がない。
気がつくと大阪をすっ飛ばして尼崎へ来ていた。
大学に行きたくなかった。
大学とは真逆の方向へとひたすら車を走らせた。
尼崎ではラーメンを食べた。
後に河原町にもあるチェーン店だと知って落胆した。
大きなチャーシューを無料で5枚まで追加できるラーメンで、ちゃんと5枚も乗せてラーメンをすすった。
雨の尼崎は静かだった。
雨さえも静かだった。
見知らぬ街は部外者を受け入れない。
静かにこちらの様子を伺っているようだ。
珍しそうに街を見渡しながら歩く私をまた、街も珍しそうにこちらを見ていた。
帰りたくなかった。
写真フォルダを見返すと、尼崎で食べたラーメンの写真しかなかった。
私は何を見ていたのだろうか。
その手がかりはもう自分の海馬にしかない。
写真を撮ると後で見返すことができる。
自分の軌跡を写真でなぞる。
その反面、自分の海馬の記憶がいつの間にか写真の記憶とすり替えられていることがある。
本当に目にしたものではなく、カメラ越しの景色があたかも自分が目にしたものだと勘違いをしてしまう。
それもそれで悲しいけれど、全く思い出せないのはもっと悲しい。
私はよく写真を撮る。
それは誰かに見せるためではない。
自分だけで見返して満足するのだ。
自分だけが目にしたこの素晴らしい景色を他人に見られてたまるか。
ある種、独占欲なのである。
友人を撮る時は、あえてシャッターを切るタイミングをずらす。
カメラを構えて私が冗談を言う。
友人らが自然と笑ったその瞬間を切り取りたい。
それが私が見ている景色だから。
それが私の知っている友人だから。
カメラに向かってキメた表情なんて要らない。
尼崎に向かっている時は無我夢中だった。
一瞬ハンドルを誤って、高速道路で隣のトラックに衝突しかけた。
それだけは覚えている。
2年前の私は今よりももっと自由で破天荒であった。
私は今くらいの足枷でちょうど良い。
東奔西走と言う言葉がある。
私は衝動的に東にも西にも奔走した。
三重県に住む男が京都に遊びにきた。
私の友人は一目惚れしたらしい。
彼女は連絡先を交換して毎日恋人のように電話をしていた。
ある日のバイト終わり。それは0:00くらいだったと思う。
一緒に四日市市までレンタカーで遊びに行った。
彼はバーで働いていた。
おしゃれなバーではない。
地元の酒好きが集まるバーで、大変煩かった。
彼女はべろべろになりながら
「ここでヤらせない女がいい女なの。」
と言って助手席で深い眠りについた。
一睡もせずに長距離運転をするのは大変なことだと知った。
中央線が3本に見えた。
前を走る車がぐわんぐわんと揺れ、車間距離が掴めなかった。
途中休憩をしながら、空模様が朝から昼に変わるのを楽しんだ。
彼女は京都に住んでいたので、家の近くまで送った。
一度も起きずに助手席で眠る彼女を見て愛おしく思った。
命を私に預けている、それも無防備に熟睡している彼女は可愛らしかった。
無論、彼とは良い関係になることもなく終わった。
「私は割り切ってるからいいの。都合のいい関係でいいの。」
とまるで自分に言い聞かせるように言う彼女が惨めに見えた。
彼女が満足しているならば何も言うことはない。
一緒に美味しいものを食べて酒を飲んで、互いを慰め合った。
大学生のうちに車を手にしなかったことは正解だと思う。
もし車を日常的に使えるのであれば、私は日本一周してしまうほど大学生活を放棄していたと思う。
どうしてこんなにも旅に出ることが魅力的に思えるのだろうか。
この場所に止まっていることへの焦燥感からだろうか。
東奔西走する人生でいたいと思う。