弁護士秘書のブルシット・ジョブ①弁護士のゴミ捨て

 生理的に厳しい弁護士の担当秘書となった際にもっともダメージの大きい仕事は「その弁護士のゴミを処理すること」である。
 私が新卒2年目の頃に担当した中堅弁護士は、今まで出会った人物の中でもっとも生理的に厳しかった。
 いつも赤らんでいる顔面には常に人を見下したような表情が浮かんでおり、40代男性にしてはちょっと髪の毛が潤いすぎていた。ほんの少しでも返信が遅れるとわざわざ秘書の席へやってきて「あの件大丈夫ですか?」と尋ねてくる。それが嫌で、資料印刷をメールで依頼された時、ものの5分で終わらせ、直接渡しに行ったら「僕の指示メールには例外なくすべて返信してください」と言われた。ゴキブリを発見したときと同程度に身の毛がよだったのを今でもよく覚えている。
 彼のファイルを整理するたび、心の健康を害した。なぜなら、指で抜いたヒゲ数本が必ずどこかに挟まっていたからである。なるべく触れないようにしつつ、ファイル返却後には必ず手洗いをした。まだコロナなんてなかった時代である。
 彼にまつわる仕事で一番嫌だったのは、ゴミ捨てである。一般的な会社もそうかもしれないが、各人のデスクにそれぞれゴミ箱が置かれていて、秘書は自分のゴミ箱内のゴミを、定期的に共用部の大きなゴミ箱に捨てる。良識的な弁護士や若手の弁護士は、秘書と同じように、自分のゴミは自分で捨ててくれる。
 この弁護士はというと、もちろん秘書にやらせていた。もはや、彼は秘書にゴミを捨てさせるのを生きがいにしているのではないかと疑わせるレベルであった。
 彼の前任秘書はほぼ毎日彼のゴミを捨ててあげていたようだが、私には到底無理であった。始めは2日に1回程度だったのが3日に1回、と頻度は減っていき、一週間放置してしまうこともあった。これだけ放置していれば、流石に察してくれるのではないか。しかしそんな期待もむなしく、彼は私の席へやってきて「夏さん。ゴミ、溜まってきてるんで」と言った。それでも私は抵抗し、その後また数日放置した。これだけ無視すれば「使えない秘書だな」と見限ってくれて、とうとう自分でゴミを捨ててくれるかもしれない。しかしそんな期待もむなしく、彼のゴミ箱は、成長期の息子に与える山盛りご飯のごとく、着々とティッシュでこんもりしていった。
 私はこの戦いに負けた。お椀からご飯がこぼれないように慎重に、かつなるべく自分の皮膚との接触面が大きくならないように親指と人差し指だけで持ち、共用部のゴミ箱へ流し入れた。

「ゴミ捨てくらいワガママいわずにやれ」と言われるかもしれない。けれど、ゴミ箱には不衛生なものが多い。弁当を食べたときの割り箸には唾液が付いているし、鼻をかんだティッシュにも菌がついている。感染リスクを負わせてまで他人にやってもらうべき仕事だろうか?自分が出したゴミは自分で捨てるべきである。(清掃員の方々には頭が上がらない。)

 コロナ禍の今、彼はゴミ捨てをどうしているだろうか。今はその事務所をやめてしまったので、わからない。

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