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歩き続ける1歳児が知っている大人が手離してしまうこと

歩き続ける1歳児

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私の娘は最近よたよたと歩き出した。
歩き出した、と言っても1人で歩くことができないから、大人と手をつないでそれを頼りにして歩く、といった具合である。

彼女は「歩く」という動きを知れたことが嬉しいのか、とにかく飽きもせず歩きたがる。
狭いリビングの中で手をつないでよたよた…、廊下に出てよたよた…。

とにかく歩く。1人で歩くことができない彼女は私が手を離すと「んなぁぁぁぁぁーーー!」と絶叫し、床につっぷしてしまう。
よほど悲しいのであろう。

彼女に付き合ってあげたい気持ちはあるが、私は大変たいくつである。
狭いリビング、見慣れた景色、まったく同じ空間をひたすらよたよた、よたよたと歩くのだ。正直、彼女と手をつないで一緒によたよたしている間、私は家事も仕事もはかどらない。

今日もまた、私は彼女と手をつないでよたよたとしていた。
彼女は飽きないのだろうか。同じ景色、短い距離。ただひたすら歩くことに。


「繰り返し練習することでしか習得できない」

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私はふとひとつのことに気が付いた。
彼女は動物の本能で「繰り返し練習することでしか習得できない」ということを悟っているのだろう。

自分1人で自分の足で立って歩くには、ただひたすら、たとえつまらなくても歩く練習をしなければならないということ。

ものごとはたいていそうやって習得するしかない。
楽しいから練習が苦じゃなかった、という場合もあるけれど、楽しかろうと苦しかろうと「繰り返して習得する」という点は同じだ。


彼女が初めて1人で立ち上がった時。彼女が初めて手を繋いで歩けた時。私は喜んだ。「できた!すごい!えらいね!」彼女をほめた。

けれど、立ち上がることも、手を繋いで歩くことも当たり前になったとたん「いつまで部屋の中を回り続けるんだろう…」と心の中で文句を言う始末である。

大人はわがままなものだが、当の彼女本人は「私が歩けるようになるには、いつまでこんなよたよたしていなきゃいけないんですか?」と不満を言わないし、疑問をぶつけてこない。

ただただ、毎日よたよたと歩き続ける。
時には手を離されたら絶叫して「離さないで!」とアピールしてまで歩き続ける。
疲れて自ら手を離してしまっても、また、立ち上がる。

なんとすごい本能であろうか。

私たち大人は産まれながらに知っている「繰り返し練習することでしか習得できない」という事実にいつから目を背けるようになるのだろう。


赤子は親の手を頼りに、今日も歩く。
こうしていつか1人で歩けるようになる。

その頃、私は何かできるようになっているだろうか?なにかを繰り返し練習できているだろうか?

歩き続けたい大人


私は今webライターになって半年経った。
初めて報酬をもらった時、文字単価が上がった時、いつも見ていたメディアに記事が載った時、その時その時は喜んだ。

けれどその時の喜びと「がんばろう」のモチベーションはいつまで続きましたか?同じモチベーションで続けられていますか?と考えると疑問が残る。

思ったように収入が増えない、思ったように文字単価を上げられない。
そうなるととたんに「繰り返し仕事をやること」に対してのモチベーションが下がってしまうものだ。

前に前に進むことでしか、目標には到達できないというのに。

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「私も、一緒にがんばろ」
小さな体でよたよた歩く娘を見て、そんなことを学んだ秋でした。


書いた人(絵と文)
なつめももこ/webライター、管理栄養士
noteには私の日常、過去のこと、考えていることをゆるゆると綴っています。
今日ものんびりと、どうぞ。
Twitterもやってます。


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