おじいちゃんとわたしの
祖父が亡くなった。
わたしが生きているおじいちゃんに最後に触れたのはいつだっただろう。
コロナ禍のなかで一年は会っていないけれど大人になるにつれ、手を繋いだり、ハグをしたりすることも少なくなってわたしは何年もおじいちゃんに触れていなかった気がする。
わたしが小さい頃、つまり20年以上前、おじいちゃんはまだ足腰しっかりしていてよくわたしを抱いて歩き回っていた。
農作業もバリバリにやっていたし、力も強かった。その頃はよく遊んでもらっていて、触れあう機会も多かった。冬におじいちゃんの家に行くと、キッチンの隅の大きくて円筒形のストーブのそばに二人で並んでめざしやマシュマロを炙っていたな。
手押しの一輪車に乗せられて畑に連れていかれたり、真っ暗な夏の夜におじいちゃんに手をひかれて蛍を見に行ったりした。
その蛍も今はもうほとんど見掛けなくなった。一面に蛍が飛び交っていたあの夜を思い出して、20年の月日の長さを思い知る。
あのときの祖父の手は大きくてしっかりしてて力強かった。
それから何年かでもう、わたしは学生になり、思春期を迎えて、もうほとんどお互いの身体には触れる機会もなくなった。
仲は良かったし、もちろんおじいちゃんのことは大好きだったけれど。
それからずっとそうだった。亡くなるまでわたしはずっと……
いや、ちがう。
あれは2、3年ほど前だったか。
2、3年ほど前の正月。わたしは実家に帰っていた。地域に男連中がお正月に神社に集まって酒を飲む儀式がある。ストーブはあるけれど、それでもとても寒いので、身体を暖めるためにぐいぐいとお酒も進む。
おじいちゃんがその酒盛りに出掛けていって数刻。
わたしは2階にいたが、玄関のほうが騒がしくなったので、あ、おじいちゃん帰ってきたかな、と思った。
そしてすぐ、妹が「たいへんたいへんたいへん!」と叫びながら2階へ駆け上がってきた。
「おじいちゃんがお酒飲みすぎて立てなくなってる!おばあちゃんがめっちゃ怒ってる!怒鳴ってるやばい!」
そりゃ、やばい。祖母は穏やかな人でわたしの記憶の限り、声を荒らげて怒るなんてしたことがなかった。
慌てて妹と階段を駆け降りるとおじいちゃんが着替えの途中で床に蛙のようにひっくり返っていた。
顔は真っ赤で呂律も回っていない。
起き上がろうとしてバタバタしては起き上がれないまま転がっている。
それを仁王立ちの祖母が見下ろしてぶちギレている。
「おじいさんっ!情けなぁい!!!孫に迷惑をかけてなにをやっとるんな!!!」
祖母が怒鳴ったのを見たのはあれがはじめてだったな。
「う、うるっへぇ、ばばあ!」
おじいちゃんは呂律の回らない口で小学生のような悪態をついていた。
わたしはおじいちゃんをなだめながら、おじいちゃんの側に椅子をおいた。
そして後ろから手を回し、腕をつかんでおじいちゃんの上半身を支えて持ち上げ、椅子に座らせた。
介護をやっているので、わたしは他の人からみたら、こんなひょろひょろのねーちゃんには到底持ち上げられなさそうな人間を持ち上げることができる。
わたしに持上げられたことに驚いておじいちゃんは黙ったし、妹と祖母も口を開けて驚いていた。
老人にしてはがっしりしていて骨太の腕。
だけど、昔の記憶とは違う、水分の少ない皮膚の感触、痩せた筋肉、治りにくくなった傷、堅くなって少し変形した爪。
なにより、思ったより重くない。
ああ……
身長もいつの間にかわたしのほうが高くなっていた。
自力では着替えも出来ない祖父の服を手早く脱がせながら、よろめく身体を支えながら、わたしは、あの日、守らなきゃ、と思ったのだ。
これからは今までもらった愛を返す番になったのだ。
そう思ったのだ、確かに。
でもそう。日々は忙しい。ずっと一緒にはいられない。わたしには遠くに仕事や、いろんな大切なものも、そこでの生活もあったから。思うようには電話も会いに行くことも一緒に過ごすことも出来なかった。
もっと電話をすればよかった。
もっといっぱい畑仕事を一緒にすればよかった。
もっと一緒にお酒を飲みたかった。
もっと一緒に旅行に行きたかった。
もっといっぱい手を繋げばよかった。
もっと会いに行けばよかった。
コロナ禍とか無視して会いに行けばよかっ………いや、わたしにそれは出来なかったな。
だって、わたしは一応医療従事者で、健やかな日常を守るのがわたしたちの仕事だから。そんなわたしが家族や患者さんたちを危険にさらすわけにはいかないよ。命の重さを知っているから。
それに、おじいちゃんもそれが出来ないわたしのことをきっと誇りに思ってくれたから。
老いていって身体にもつらいことが増えていたのを知っていた。そんな日々にわたしの存在は少しでもあなたの心を守れていましたか。
わたしが孫でよかったですか。
わたしはわたしがあなたの孫で、わたしにあなたの遺伝子が受け継がれていることを誇りに、そして幸せに思っています。
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