母が強い話
うちの母は強い。
母は看護師として長いこと病院勤めをしている。
病院にいると酷い怪我や重い病気もよく目にしていた。
そのせいか、ちょっとやそっとのことでは動じなかった。
兄が足の骨折ったときも「捻挫でしょ?」と普通に歩かせたり、自身の指をざっくり切った時も「絆創膏貼っとけばいい」と血がドバドバ出続ける指に絆創膏1枚だけ貼って放置していた。
人の怪我にも自分の怪我にも本当に容赦無かった。
小学六年生のとき、私は足首に火傷をおった。
アホなことに湯たんぽに足首を当てすぎて低温やけどしてしまった。
しかも痛みに全く気付かず大きな水膨れが数個出来るまで放置していた。
朝起きた時には激痛。
足が痛い足が痛いと私は父と母に泣きついた。
怪我の類が苦手な父は嫌な顔をして
「痛そう…寝てる時気付かなかった?鈍感すぎ」
と、呆れていた。
母は大きな絆創膏をペッと貼り付けて
「絆創膏貼ったから平気。潰さなければ治る」
と言ってさっさと仕事へ行ってしまった。
痛いのになーと不貞腐れながら私も学校へと行った。
潰すなと言われても小学六年生。
走るわぶつけるわで昼休み前には見事に潰れていた。
保健室に行き、保健室の先生に絆創膏を剥がしてもらい水膨れがどうなったかを見てもらった。
もちろん、ぐしゃぐしゃに潰れ、ヒリヒリと痛んだ。
先生は見た瞬間「うわ!」と声を漏らし、痛いよね痛そうだよねと言いながら新しいガーゼに交換してくれた。
「帰ったらちゃんと消毒してね、お母さんに見せてね!」
と念を押された。
その日、帰ってきた母に事情を話した。
そして足首を見せると母も珍しく
「これは酷いね、消毒しよ」
と準備し始めた。
おもむろに母はお湯を沸かし始めた。
お湯……?
消毒と聞くとまず頭に浮かぶのは「マキロン」とか「イソジン」……。
しかし、母はその類のものを用意せず、せっせとお湯を沸かしていた。
お湯はグラグラと泡立つほど煮えていた。
それをボールへ移し、床にタオルを敷いてその上にボール、そして手には計量カップ。
「はい!足出して」
母は私の足をガッシリ掴むとボールの方へ引き寄せる。
え?待って?
計量カップでタプンッとお湯をすくうと、母は全く躊躇せず火傷した部位へバッシャーンとかけた。
「あ゛?!」
あっつい!!
とにかく、あつい!!!
母は当たり前という顔で何度も何度もお湯をかけ続けた。
「え゛!あ゛づ!あ゛ぎゃ!!!」
私は奇声という奇声をあげまくった。
何されてるのか、何でこんなことされてるのか全く理解できなかった。
とりあえず分かるのはお湯はとても熱いということ。
しばらく拷問は続き、母は「これでよし」と濡れた足を拭いて大きい絆創膏を貼った。
何も良くない。
逆に聞きたい。
何が良くなったのか。
「なんでお湯なんてかけたん?熱かったんだけど」
私がそう文句を言うと、何言ってんの?という顔で言い放った。
「え?熱湯消毒」
火傷に?!
熱湯消毒?!
生身に?!
熱湯消毒?!?!
ね っ と う し ょ う ど く ?!?!?!
everybody say!!!!
熱湯消毒〜〜!!!!!
「熱いわ!!」
「お湯なんだから当たり前でしょ」
母はそう言って使ったものを片付けた。
しばらくして火傷の痕がしっかりと残ってしまい、皮膚科に行くことになった。
皮膚科で足を見せると先生はまじまじと見たあとこう言った。
「あーこれ、皮膚がんになるね」
皮膚がん?
HIHUGAN?
「この火傷の痕、日に当てないでね。ん〜手術してもいいけど、どうする?おしりから皮膚とってここにつけるんだけど」
手術?!
あたしのお尻が足に付く?!?!
私は手術の怖さに首を横に振り続けた。
母は「してもらえばいいのに〜」と言うだけ。
結局皮膚がんにはならず、今も足に火傷の痕がある。
母のせいなのか自分のせいなのかは知らない。