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ずっと君のとなりがいい(2022.12.4によせて)


きみのそばにいればいつも笑っていられる

それはきみの大きな愛と優しさが変わらずずっとそこにあるからで、
きみがいつもわたしたちを楽しませよう、笑顔にしようとしてくれているからで、
そんなきみの幸せがまわりの人々の笑顔で叶うと、そう教えてもらっているからだ

きみのようになってみたい、
でもそれはわたしには簡単なことではないから、
やっぱりずっときみのそばで笑っていたい


ちょうど1年前の今日、のさらに1日前。
PERMISSION TO DANCE ON STAGE - LAのオンライン配信、エンディングでステージに現れたジンくんの頭にはジンくんの顔よりずっと大きいRJのぬいぐるみがくくられていた。
かわいくて、かっこよくて、おかしくて、いとおしくて、その姿を見たわたしは当たり前にしあわせで笑顔になった。

ワールドワイドハンサムなお顔と、全身から溢れ出る愛らしさと、メンバーたちをほんの少し呆れさせるユーモアと、素直でまっすぐな言葉と、誰より大きな愛情と、正しくてつよい心。

またそれ?と呆れられてしまいそうだけど、この1年もまた、何度も、何度も、なんども思ってしまった。

ジンくんがバンタンの長男でほんとうに良かった

この数か月でジンくんにもらった愛といったら、とても受け止めきれないくらいに大きくて、わたしときたらまだその下でもだもだとして動けないでいる。

ちょっとの間(잠시!)のお別れのためにジンくんが準備してくれたたくさんのコンテンツは、どれもめちゃくちゃジンくんらしくて、ジンくんにしか表せない愉快さと温かさで、それぞれにまったく性格の違うジンくんの魅力がこれでもかというくらいに詰め込まれていた。
正直、これを全部を飲み込むだけで、1年半どころか3年だってすぐ経っちゃいそうなくらいだ。

この1年でわたしがいちばん多くの新しい好きと憧れの気持ちに気づかされたのは、もしかしたらジンくんかもしれない。


唐突にわたしのジンくん過去一ビジュが更新された



1.プロアイドル・キムソクジン


わたしがジンくんに抱いているイメージは、とにかく『職業:アイドル』を誰より真摯に全うしているひと、だ。

ステージの上のジンくん、弟たちとじゃれているときのジンくん、ゲームを3時間してみせるジンくん、社外のバラエティに出演するジンくんは、とにかくきらきらでキュートでラブリーでユーモラス、ハンサムでやかましくて愉快。
でも、ひとりで真っ直ぐにアミたちと向き合うときのコミュニケーションは、いつもどこかクールでドライで、そのたびにわたしはわたしたちの間にある「アイドルとファン」をめちゃくちゃ自覚させられる。

それなのに、『もっとつまらないものですが』でジンくんが話してくれた聞き慣れたはずのアイドルマインドが、あまりにも優しくて温かくて誠実で、
彼のアイドルとしての在り方がどんなにロマンチックで愛情深いものなのか、あの日わたしは突然に痛感することとなってしまった。

プロアイドルであるBTSのJINというひとは、ファンとのあいだに決して越えることの出来ない一線をしっかりと引いている。

どちらかというとわたしはジンくんのそういうところに寂しさよりも安心感のようなものを抱いていて、GQのインタビューで紹介された人生にかかせない10のアイテムの中に、見たことのないものがひとつもなかったのも何故かすごくほっとした。
(なので、自宅バスルームが公開されたときはむしろめちゃくちゃに動揺して見ながらリアルに変な声がでた)

やっぱりこんなにかわいいのはずるいです


だから、そのジンくんの圧倒的アイドルマインドを冷めているなどと思ったことはもちろん一度もない。ないのだけれど、あの日酔ったジンくんの口から語られたずっと変わっていないそのマインドの向こう側に、ジンくんのあまりにも大きな愛とまっすぐさとがあることに今更気がついて、とてつもなく打ちのめされた気持ちになったのだ。

-ゲームが大好きなオタクとして、ファンの方々が好きな姿だけをお見せしたいというマインドを持っています。
-ファンの方々が嫌がる姿をお見せしたくないです。

『もっとつまらないものですが』より


わたしが知れていなかっただけなのかもしれないけれど、
ジンくんの「自分の良い面だけを見せたい」は「相手の嫌がる姿を見せたくない」からきているんだ、ということを初めて知った。
このふたつって、同じことのようでまったく違う。

そして、ジンくんが“何かを大好きでいる人間のひとり”として、そうすることが正しいと信じているとしたら、それってめちゃくちゃに愛でしかない。だって、ジンくんはわたしたちアミがジンくんを大好きなことを当たり前に信じてくれているということじゃないですか。

相手の好意を当たり前に信じることは、ちっとも簡単なことなんかじゃない。
信じようとするのでもなく、信じることにしてみるのでもなく、信じている。
もっといえば、ファンが自分を好きだということを前提にしてしまえるその強さ。

ジンくんの行動はいつも、アミがどんな自分を見たら幸せになれるのかという考えに基づいていて、そこには仮初めの愛情表現も、その場しのぎの嘘も、プライベートの切り売りも、一切必要ない。そんなものがなくても、アミのジンくんへの愛情はなくなったりしないと、他でもないジンくん本人が信じてくれている。

こんなにもロマンチックなことってないと思うのです。

バンタンを好きでいると、なんとも幸せなことに、アミが7人にとてつもなく愛されていることはいとも簡単に感じることが出来てしまう。ジンくんがいつもファンが喜んでくれるようにと考えを巡らせてくれていることも、わたしはちゃんと知っていたはず。
でも、そんなジンくんの、ずっと揺るがないクールさの向こう側に、こんなにも大きく深い愛情があったことに、恥ずかしながらはじめて気がつきました。

アイドルという職業に誰より誠実に向き合うひと。
社会人として自分の仕事にいつでも真摯に取り組めるひと。
そんな仕事を通して自分に幸せがやってくるのだと思うことの出来るひと。
まっすぐで優しく強い、愛のひと。

そうやって僕は、ARMYの幸せのおかげで生きている人であり、ARMYを満足させるためにはその仕事をしなければならないんです。

weverse magazineより


生まれ変わってもまた建国大学に行ってあのバスに乗るというジンくんが、幸せを得られる仕事としてBTSのJINでいることを選び続けていてくれるのなら、わたしにはもう何も言うことなんてないし、いたずらに寂しさを感じる必要もなければ、彼のその愛情は疑う余地もない。

だから、聞かれたくないことは言わなくていいし、見せたくないものは見せなくていい。
わたしはこれからも、ジンくんがファンに見せてくれる姿だけをまっすぐに愛せる、ジンくんと向き合っても恥ずかしくないような、そんな誠実なファンでいたいです。


…でもときどきは、きみの苦しみを垣間見て心を痛めてしまう弱さをゆるしてほしい。
それはただ、きみをだいすきでたいせつに思うがゆえに生まれてしまうものだから。


2.きみのやかましいエレガンス


キムソクジンは単純だ。
さまざまなインタビューや、メンバーたちとのふとした会話のなかで、ジンくんが自分のことを単純だと表現するのをこれまで何度見てきただろう。

単純な性格
単純な歌声
単純な思考
単純な人間

わたしがジンくんを尊敬するいちばんの理由は、単純な自分の性格を大好きだと言えるそのまっすぐな強さと、誰も傷つけることのない優しい正しさを持っていることかもしれません。

どんなときでも頑張らずにポジティブでいること、誰といても卑屈にならないこと、身勝手な傲慢に押しつぶされないこと、自分のもつ幸せを大切にすること、いつも単純で真っ直ぐな自分でいること、

それがどんなに難しいことなのか、社会のなかで生きていれば誰にだってわかる。

ましてジンくんはワールドワイドスーパースターなのだから、ただそこにいるだけで、想像し得ないほどたくさんの好意も悪意もいたずらに殴りかかってくるに違いないのに、傲慢になる素振りも卑屈になる姿も一切みせることなく、「鏡を見るたびにハンサムだなと感心する」「僕はとくべつな才能のあるひとじゃない」「僕は僕の性格が大好きです」などと言ってのける。
なんてことのないように。

そういったジンくんの言葉たちに傲慢さも卑屈さも感じることがないのは、言葉づかいにいつも品があることや、ユーモアの中にいつも知性が透けて見えていること、つまり何というかご両親からもらった価値観、いわゆる育ちの良さみたいなものから来ているのだろうな、と思っていた。

もちろんそれは絶対にあると今でも思う。でも、ジンくんのすごいところはそんな想像のもっともっと上にあった。

僕は僕自身に満足しているだけで、僕より素晴らしい人が溢れているとは思っています

酔中JIN談 EP.1より

ジンくんがペク先生に話したこの言葉に、またしてもわたしは打ちのめされた。
ジンくんは、足ることを知っているひとなのだ。

弟たちとのやりとりの端々や、いつでも自分を上手に愛してあげる仕草、礼節もユーモアも忘れずに年上の方と交流する姿に、人生何週目?ってジンくんが言われているのをよく見かけるけれど、ほんとうにその通りだと思う。

ハワイでナムジュンに話していた、自分が幸せになるために相手を利用する、相手を笑わせることで自分を笑わせる、という考え方をはじめて聞いたとき、わたしはジンくんのことをすごく“正しい”ひとだ、と感じました。
そして、誰のことも傷つけない正しさなんてあるんだ、と。

ジンくんのその優しい正しさは、ジンくんが自分に満足することを知っているからこそ、相手に与えることのできるものなのかもしれない。

ジンくんがいつそんな風に考えられるようになったのか、わたしに知る由はないけれど、ジンくんが自分について話すとき、一度だって傲慢さも卑屈さも感じたことがなかったのは、上も下も見てしまえばきりのない世界で、自分に満足し、自分を愛せる、そんな強さと正しさを持っているからなのだろうか。

そして何より、アイドルで、アーティストで、表現者で、ステージの上にたつひとで、多くの誰かを幸せにすることの出来るひとが、自分自身に満足することを知っているということ。

もっと、もっと、もっと、
もっと上手に、もっとかっこよく、もっと完璧に、
そんな危ういひたむきさを持つ弟たちの傍に、ジンくんが長男としていてくれた奇跡に、わたしは何度だって泣きたくなってしまう。
ジンくんのそのまっすぐで単純で優しい強さと正しさが、弟たちのささくれた心をやさしくなぐさめたことがどれだけあるのだろう。

BTSにジンくんがいてくれて、本当によかった。


ひとりで写真を撮らせてもらえないジンくんの笑顔、ハピネス


そして、ジンくんが本当にすごいのは、大笑いしながら弟をからかったり、ヤー!って大きな声で何かをうったえたり、早口で捲し立てるように怒ったり、みんなに注目されて首まで真っ赤になったり、弟たちに混ざってふざけあったりしているときは、理屈っぽいことなんかぜんぶ忘れて、その愉快さだけを心から笑わせてくれるところだと思う。



3.きみのやさしいアイロニー


ジンくんはときどき、“別に言わなくても良かったこと”を教えてくれたり、“本当は黙っていればいいこと”をぴしゃりと言ってくれたりする。

うっすらと、だけど長い間ずっと気がかりでいる心配事があるとき、
ジンくんの口から語られる過去の事実は、気づかなくてごめんねと泣かせてくれることで胸でつかえていた傲慢な後ろめたさを押し流してくれる。

気にしたくもないのどうしても目に入ってしまう身近な侮蔑に嫌気がさしたとき、
ジンくんがさらりと置いていくアイロニカルな発言は、(さすがジンくん、うまくいってくれてありがとう)と行き先のない鬱屈をすっと晴らしてくれる。

こういうジンくんの発言は、もしかしたら周りの大人たちにとっては言わないで欲しかったことかもしれないし、ともすると悪意のある誰かから批判されるようなことかもしれない。

でも、少なくともわたしは、そんなジンくんに何度もなんども、思い詰めてしまった愛を救い上げてもらっているし、ジンくんの優しさにはっとさせられて、自分のなかにある好きの拗れを正してもらえている。


ブエノスアイレスからのウィバスライブで、ジンくんの口から直接兵役にか関するこれまでのことを聞かせてもらえたとき、とてつもなく切なくて悲しかったのと同時に、なによりいちばんほっとするような気持ちがこみ上げてきたせいで泣いてしまった。

わたしがバンタンを好きになったとき、もうジンくんはいつだってその問題の矢面に立たされていて、すでに、“兵役”とか“入隊”はまさに名前を言ってはいけないあの言葉、であったように思う。

平穏に好きでいるために、決して直接言葉にできない何か。

10月17日のお知らせも、正直いちばんは(やっとか…)みたいなほっとした気持ちがあって、その安堵感と、どうにもならない淋しさの裏側で、まだそのことは、名前を言ってはいけないあの言葉のままでいた。

それがぜんぶ解消されたのが、10月28日の夜、ジンくんの口からこれまでの経緯と、その間に彼が抱いていた葛藤や苦しさ、もどかしさを聞けたときだった。
ジンくんがつらい思いや悔しい思いをしていたことは本当に悲しくて切なかったけれど、いまでもジンくんをおもって泣いてしまう夜はあるけれど、
なんだかようやく、ジンくんに心からのありがとうと行ってらっしゃいを言えるようになったような気がする。

ジンくんの言葉に何よりいちばん安心するのは、ジンくんがこうやって話してくれるということは、きっとそれはすでに“もう心配しなくてもいいこと”になっているのだと信じられるからです。

最年長というだけでいつも矢面に立たされてしまうジンくんは、
最年長というだけでいつもメンバーやファンの心を一歩先のいちばん外側で守ろうとしてくれる。

そして、にこにこのジンくんの口からでる、ウリメンバー と ウリアミ はいつも宝石みたいにきらきらだからうれしい。


ジミンさんのお誕生日にジンくんがくれた、主役の見切れた雑セルカと、アップしなくても仲良し!!!!!という言葉は、きっとこの先弟たちを守ってくれるような気がします。


この仕草、非の打ちどころがないのです


4.おわりに(Happy birthday to my idol)


ジンくんはなんとなく「行ってきます」よりも「おかえり」を言うのが似合う気がします。
ひとりいちばん最初に出かけて、誰もいない場所に帰り、弟たちを迎えてあげるひと。

そんなジンくんが、元気に行ってきますと言える相手がわたしたちアミであることが本当にうれしいです。だからわたしもジンくんに心からの気を付けて行ってらっしゃいを言えるひとでありたいし、ジンくんのくれる(아미 알라뷰)だけを信じて帰りを待っていられるファンでいたい。


おなじくらいたくさんくれる(あみ、はーとぅ)


そして、ジンくんが帰ってきたとき、笑って「待ってたよ!」と言えたらそんなしあわせなことってない。

안녕は、漢字の安寧に対応する語彙で、無事を祈るという意味合いをもつらしいです。
goodbyeが、God be with you から来ているのになんだか近い気がします。

ジンくんが束の間の goodbye のために置いていってくれたたからものたちを抱きしめて、ただただきみのしあわせと健康と、この冬のあたたかさとすこしの平和を祈りたい。
きみがきみのしあわせのために、わたしのしあわせを利用できるように、いつもご機嫌で笑っていられるわたしでいたいです。


だいすきないつものピース


ジンくん、お誕生日おめでとう。
ジンくんの愛らしさを、愉快さを、強さを、正しさを、わたしはいつも尊敬しています。

안녕と言うその日まで、きみに一秒でも多く穏やかな時間がありますように。



2022/12/4 . . . . . . . happy jin day !!





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