田舎の図書館で気づいたこと~高齢者と社会
留学が終わってからは、東京に戻らずに地元の田舎で過ごしている。平成の大合併で生まれた市の人口は5万人ほど。そんな地元にも市立図書館がある。
社会学を学んでいる身にとっては、田舎の図書館でも十分良い良書に巡り合えた。社会は学生だけじゃないことを凄く実感させる。だから、授業で紹介された参考文献やレポートための文献を借りに、よく足を運んでいる。
図書館という空間が好きだ。都会なら、騒音から脱出できるし、田舎でなら、他者の目から脱して叡智にたどり着ける。つまり、どこに行ってもユートピアなのだ。
この3か月ほど通っている図書館には、田舎ならではの空間があって気に入っている。例えば新聞の欄。大学図書館ではめったに見ない、日本農業新聞が目に留まるところにある。そして、多くのおじいちゃん達がのんびりとしている。そんな場が好きだ。
そこで、ふと思った。なぜシニアになっても情報収集をする必要があるのかと。今の自分にとっては、情報収集をする目的は社会の役に立つためである。シニアの多くはすでに退職しているし、社会に影響を与えることをするためとは言い難い。そして、その情報を知っても社会運動などでアクションを起こすこともない。若者代表の私にとっては、そういうことしないなら、別に集めなくていいじゃんと思ってしまう。
それでも、自分は気づいた。
情報を集めることは、社会とのつながりを保持するためだと。
当たり前かもしれない。でも、その当たり前を「なぜ?」と疑うと答えが出てこない。そんな物事が世の中には多い。社会で何が起きているかを知ることで、自分が社会の一員であることを自覚する、自分が独りじゃないことを実感する。そのために新聞を読み、本をあさるのだろう。
アクティブシニアという言葉がある。情報を通して社会と間接的につながるだけでなく、「ひと」を通して社会と直接的につながることもできるのではないか。コロナ禍で、現役世代の経済活動と高齢者の死亡率のトレードオフについて言及する人もいる。高齢者は、経済的に引退したから意味がないと言っているようにも聞こえてしまう。経済的には高齢者は強くないかもしれないが、社会的にはそうではないはずだ。しかしシニアは、つながりの面で不利な場にいることが多いから、社会的に弱い者として扱われてしまう。そうではない。そうするために、シニアの場づくりが必要なのではないか。
そう、思う若者であった。
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