見出し画像

梨と弟

弟は無口な男である。

今も両親と共に実家で暮らしているが、仕事から帰っても殆ど喋らず、
食事も、テーブルにつかずに台所にある簡易的なイスでさっと食べて自分の部屋へ行ってしまうらしい。
朝早くから出かけるため最低限の会話しかなく、何を考えてるかさっぱりわからん、と母はいつもやきもきしている。

単位制の高校を何年もかけて卒業した弟は、3年ほど前にようやく定職に就いた。毎日会社に行ってくれるだけで御の字や、と母は言うが、親として
息子の先行きが心配で心配でならないのであろう。

両親と連れ立ちめずらしく弟が、田舎で暮らす祖母に会いに行った日のこと。

帰りがけ、祖母は弟に、「お土産に持って帰り」と、カゴに入った梨を差し出した。カゴに入った2つの梨を見比べて、弟は「どっちが甘いんやろ」とつぶやいた。

そばにいた母が、「こっちの方が実が詰まってて美味しそうやで」と応えると、弟はそちらをカゴに残して、一方の梨を手に取り、祖母に「ありがとう」と言った。

甘い梨を祖母に残した、弟のさりげない優しい心が好きだ。
わたしなら、しっかり甘い方の梨をいただいて帰ってしまいそうだし、
なんだったら、2つとももらって良いと考えそうである。

母は毎日やきもきしているようだが、このエピソードひとつで、わたしはすっかり安心している。

犬のぬいぐるみを片時も離さず、自転車の前かごに入れて走っていたあの小さな弟は、盛大に感情を爆発させた思春期を経て、いま、落ち着きを取り戻している。

どうにか弟が良い目をしてほしい。無口な弟の代わりに、そう願わずにはいられないおせっかいな姉なのであった。