見出し画像

よし、本を読もう。文字の羅列から文章になるように、本を読もう。

何かを一所懸命頑張ってみたくて、
最近一気に挑戦を始めたnoteとinstagram。

どちらも文章を書くこと、とは切り離しができません。
インスタの方では、実験である
「1日1こ、好きなことをしていたら日々の見え方は変わるのか?」
の経過を日々記録しているのですが、つい昨日投稿した内容がこちらです。

そう、「文章についての文章を読みたい」。
なんだそりゃ?と思われる方もいるでしょう。
ええ、わたしもそう思っています。

文章を書くって、小学校あたりからずっと教えられて、日常に溶け込んでいるはずなのに、溶け込みきらないじゃないですか。だって、同級生に文豪になった人がいるよ!って人、そんなにいないでしょう?
言葉を紡ぐって、誰にでもできるようでいて、できない。

だからこそ、文章が好きなわたしたちはnoteに集まって言葉を紡いでいるんだけれど、そこでも、わたしは自分の文章を読み返したときに、
「ほう、こんなに伝わらんもんか。」と思ったりするんです。
書いた本人なのに!

なんていうか、文章を書いているつもりでウキウキ始めたnoteだけれど、
あとで読み返してみたら、
「わたしのnoteって文章じゃなくて、文字の羅列じゃん!」
みたいな、ね。なんかそういう類いの恥ずかしさがあるんです。

でも、読んでくださる方がいて、スキを押してくださる優しい方がいて。

そうなったら、「へへん!」って思うよりも、
「すみません、今にもっとわかりやすく、読みやすくしますので…!」って気持ちになっちゃうんです。

だから、本を読もうと思うんです。
圧倒的にインプットが足りていないんです。
日本人だから、文字は並べられるんですけど、
人様に提供するに値する「文章」とは程遠いんです。

わたしがnoteを始めたのは、日々小さなことに嬉しさや楽しさを見出すことが、
「ここちよく暮らす」に繋がりそうでは?
と思ったから。

寒いから、鍋にしよ。の鍋の湯気を見た時の安心感とか、
風邪ひきそうな時の生姜とはちみつの香り、とか。

自分の中にシェルターがあって、毎日そこにHP回復しにいく感じ。

そのシェルターの中を充実させたいな、ってことなんです。

そういうのって、伝えるの難しい。
試してみて、わたしの目を通って、脳に入って、体を巡って、感覚を味わってからじゃないと、言葉にならない種類のことです。

わたしというフィルターの目が詰まっていたら、不純物まみれの感想だったり、なんだかぼんやりした言葉しか出てこないかもしれないし。

「ああ、ほんとには思ってないけど言ってるんだな」
ってわかる言葉を話すひとにあったことはありませんか?
わたしはあります。結構たくさん、あります。

そういう時って、その人のこと信用して自分のことをお話しできるか、というと、
できないじゃないですか。
自分の言葉を並べるときに、信用までいかなくても、うん、この人は本心で話してるな、って思って欲しいじゃないですか。

だからこそ、きちんと文章で生活できている、「プロの言葉」をたくさん読みたいな、と思っているよ。

どうしてこんなにみずみずしく感情を表現できるんだろう、って思える方の本をたくさん読みたいんです。
どうして読んでいて、こんなに頭の中で簡単に映像化されちゃうんだろう。って方の文章も。

そんな時におすすめの作家さん、本をご存じの方がいましたら、
ぜひコメントで教えてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?