寂しいけど、寂しくない
明日、引っ越しをして、明後日から、長男がこの家からいなくなる。いなくなるって言っても存在が消えるわけじゃないので、この表現はいまいちなのだけど、家に常にいる人じゃなくなるのは明らかで、なんだかすごく変な気分。
夫から「寂しい?」って聞かれて、自分の心の中をのぞいてみたけれど「寂しい」っていう感覚はあまり強くなかった。でもたぶんこれ、まだ下の子がいるからなんだよねってことに、ふと、ひとりになったときに気づく。高校生の次女は、少なくともあと2年はわが家にいる。だから長男が出ていっても、彼女がいるから寂しくない。
長女のときもそうだった。長女がひとり暮らしをするために出ていったとき、そんなに寂しくなかった。近くに引っ越したこともあるけれど、それ以上に、長男と次女が家にいたからだよね。
ということは、やっぱり寂しいんだ。だけど、あまのじゃくな私は、自分の寂しい気持ちを認めたくない。なんでかって? 認めちゃったら、泣いちゃうから。
私が泣き虫なのは家族みんなが知っていること。だから、私が泣いたって、誰も驚かない。「ママ、また泣いてるよ」って言われるだけ。
なんだけど、毎回毎回、なぜか泣きたくないなーって思ってしまう。結局、泣いちゃうんだけど、泣きたくないって抵抗してしまう。
でも今回はなぜかそんな私の抵抗を、次女が放っておいてくれなかった。「じゃあママさ、私が家を出るときは寂しい?」って聞いてきた。やめて、想像しちゃうじゃん。
案の定、想像したら急に寂しさが襲ってきた。まだいつやってくるかわからないときのことなのに、私の想像力のたくましさよ。そうそう、私は子どもの入学式のときに、もう卒業式のことを想像して泣けるくらいの人なのだ。
そんで、次女の策略にまんまと乗せられて、急にやってきた寂しさで泣く。でも私の涙って、そんなに長く続かないんだよな。ぶわっと感情が高まって、ぶわっと泣いて、そのあとケロッとしている。延々と泣くことはあまりない。
感傷的で感動屋で、すぐに泣く。うれしいときも寂しいときも。
でも、ある場面、ある人たちの前では、ポーカーフェイスで、感情をうまく表せない。強がりな私。冷静を装う私。
どれも私、なんだけど。やっぱり本質では傷つきやすくて、心配性で、不安がりで、寂しがり。
最近は、感じるということを自分に許しているからか、そんな自分がまた内側で大きくなっているのを感じてる。
さ、午後も引っ越し準備のお手伝い。