ないものはないのだから
高2次女、ただいま進路についてのお悩み真っ最中。
いろいろ話をしてくれるから、それを聞いて、あーでもないこーでもないとおしゃべりするのだけど、大学進学をしていない私(最終学歴は専門学校)にとって、大学受験は未知の世界。
悩んでいる姿を見ると、なんとか助けになりたい気持ちが生まれてくるけれど、同時に私にアドバイスができるわけがないよなあとも思う。だって自分の中に素材(経験や実績)がないのだから。
こんなとき、やってしまいがちなのは、インスタントな情報を取り入れて、さも自分が経験したかのように喋ってしまうこと。SNSからの情報、書籍からの情報、誰かから聞き及んだこと etc…
悩んでいる娘を見ている自分が不安になって、その不安から動いてしまうときに起こりがちな現象です。はい。
そう思っていたある日、次女がこんなことを呟いた。
「だいぶ前なんだけどね、カレーとドーナツ食べたのどこだっけ? 白いお店で2階にあって、左側にテーブルで右側がキッチン」
「えー、どこだろ。あ! たぶん、朝倉にあったmiiだよ。あのとき確かカレーとドーナツ食べたよね。そのカレーとドーナツ作ってたあみちゃん、今はうちのすぐそばに住んでるんだよ」
そうしたら。翌日の朝、先述したあみちゃんが作ったドーナツの写真が流れてきた。近くの町であみちゃんがドーナツ揚げてるじゃん! 今日ならいけるじゃん!
ってことで、次女と一緒に、すぐに買いに走って、まさに揚げたてホヤホヤのドーナツ持って、柳川のお堀が見える公園でコーヒータイム。贅沢すぎて、おいしすぎて悶える。
人生いろいろあるけど、一見すると、うまくいってないように感じることも多いけど、そんな時期をどう過ごすかは自分で選べる。私は次女の進路について、具体的なアドバイスはできないけど、彼女の気持ちに耳を澄ませることはできる。
少なくとも、この瞬間は公園の風が気持ちよくて、ドーナツも家で淹れてきたコーヒーもおいしくて、次女と「うまー!」と言い合った。こういう時間が私が彼女に手渡せることなんじゃないか。
子育てを20年以上やってきて思うのは、親が子どもにしてあげられることってそんなに多くないってこと。だからこそ、自分にないものを子どもに差し出そうとしなくていい。ないものはないと潔く認めること。
そうすることで、私たちは自分が持っているもの、自分にあるものを子どもに差し出せるようになるのかもしれない。