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私が私を助けにいく

9月に公開した記事に、以前から受けてみたいと思っていた長期のプログラムを受けることを決めたことを書きました。そのときの記事はこちら。

初回講義の開催は2週間後。スタートしてから、プログラムの名前を明かそうと思っていたけれど、事前に作られたグループで自己紹介などが始まったので、ここでも解禁。

11月から約1年間、冨永のむ子さんの「自分の神話で起業する塾」に参加します。


申し込み後すぐに宿題が出て、コツコツと取り組んでいるところなんですが、まだ塾の講義がスタートしていないにも関わらず、自分だけでなく家族にも大きな変容が起きています。

自分に変容が起きることは覚悟していたというか心づもりがあったものの(そのために受講を決めたところがあるからね)、夫にも長女にも長男にも次女にも、何なら義理の家族にまで変容が起きていて。身近な人たちとは本当に影響しあってるんだなということを、あらためて感じています。

変容って、言葉だけ見るとポジティブな側面が大きいけれど、実際には、急に忙しくなったり、思ってもみないことが目の前にやってきたり、なぜか物事がうまく運ばなかったり、思いがけないトラブルに出くわしたりと、なかなかに大変なんですよね。

実際に、私は仕事においていろいろと突きつけられているし、長女と長男は住む場所が変わり、立て続けに引越し。次女は進路の選択を迫られていて、夫も私と同じく仕事においての人生の岐路に立っていると思う。母や義両親は健康面で…などなど。いろいろ重なりまくって、若干オーバーヒート気味。

だけど、そのどれもが、私と家族が次の形態へ進化する前触れのような気がしてならないんです。それがどういう意味なのかということまでは今はわからないけれど、ただそんな気がする。


そして、今、グループの方に自己紹介を書いてきたところなんですが、今、noteの画面を前に、自分に「なぜ受講を決めたのか」をあらためて問うてみると「自分を取り戻したいから」という言葉が出てきました。

何かを諦めてきた自分から
何かから逃げまわってきた自分から
自分を大事にできなかった自分から
自分を軽んじてきた自分から
自分を責め、痛め続けてきた自分から

私は自分を取り戻したい。
もっと言うと、私は自分自身を救いたい。何かから。


自分を救いたいと書いたけど、今、これといった問題があるわけじゃありません。むしろ心身ともにすこぶる元気だし、コンスタントに仕事をいただいていて、それなりの報酬もいただけている。家族みんなが元気で仲良くて、それなりに幸せ。

なんだけど、そのあと「でもなぁ…」っていう、かすかな呟きが口を突いて出てくる感覚がある。その小さいながらに破壊力のある呟きは、どこからきてるんでしょうか。


生きていれば、そんなこと誰にでもあるよ。ため息くらい日常茶飯事だよ。じゅうぶんに幸せなのに、恵まれているのに、欲張りじゃない? そう言われるかもしれないけれど、私はそれじゃ嫌なんですよね。「それなりに幸せだったね」ってセリフで、人生の幕を閉じたくない。

そんなときに飛び込んできたのが、のむ子さんのブログの記事やメールマガジンの言葉の数々でした。

というわけで、受講するなかで私が感じたことや変化したことの片鱗を、ここに残していきたいと思います。自分がそのときに感じたことなんて、一瞬で忘れ去ってしまうものだから、記録的な意味合いもこめて。




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