「私ばっかり頑張っている」は本当なのか
私が子どもたちのことで悩んでいるとき、夫に相談すると「そっかー。でも俺はよく子どもたちの気持ちがわからないんだよねえ」という答えが返ってくることが多くて。
当時の私は「私ばっかり頑張っている」と思い込んでいたから、「子どもたちの気持ちがよくわからない」と、あっけらかんと言う夫に対して、なんて無責任な人なんだ、なんて子どもへの愛情が薄い人なんだと、ぷんぷん怒り散らしていたことを思い出します。今となっては、ほんとゴメン、な案件。
でも周りのママたちの話を聞いていても、少なからず私のような感覚をもっている人がいる気がするのです。
子どもの悩みは、親が解決してあげて当たり前。
子どものために、親は最善を尽くすもの。
親次第で、子どもの未来は変わる。
とかね。
意識的か無意識かはさておき、子どものために自分は何かができるはず! と信じて疑わないからこそ「子どものために私は何をしたらいいですか?」って質問が出てくるのだと思う。
たしかにご飯を作ったり、心地いい環境を整えたり、健康に気を配ったり。そういうサポートって、子どもの大きな支えになると思うんです。
だけど、「子どもの悩みを解決するために何をしたらいいですか?」となると話は別で、基本的には子どもの抱えている悩みの解決は、本人にしかできないことだと思うんですね。(解決する必要さえないものも実は多い)
だけど親は、悩んでいる子どもの姿を見ることが辛くて仕方ないから、とにかく早くその状況から脱したい。
子どもの悩みを解決しようとしているように見えて、実際のところは「子どもが悩む姿を見ている自分が辛い」んだと思うのですよ。その悩んでいる状況から“親である私が”早く解き放たれたい。
それが悪いわけではないんです。ただ「自分が辛いから解決したくなっている」ということを認識しておくのは大切だってこと。
今、わが家では高校生の次女がお悩み真っ只中にいるんですが、先日、私にこんなふうに聞いてきました。
実際のところ、夫は次女のことを心配しているんですが、だからといって、次女本人に何か話をしたり、いつもと違うことをしてあげようとは思ってないようです。それで次女には、そのまんま「パパも心配してるみたいよ。ママにはそう言ってた」って伝えました。
次女からはどんな反応が返ってくるかなと思っていたら
そう言ってニコッと笑ったのです。
てっきり「パパにもっと自分のことを心配してほしい」「かまってほしい」って言い出すのかと思っていたのですが、いい意味で期待を裏切られました。
夫から放っておかれるのがありがたいなら、私からも放っておかれたいのかもしれない。そう思って「でもさ、ママはいろいろ心配しちゃうじゃん。あれやってみたらこれやってみたらとかさ。どこどこ行ってみようとかさ。それはどうなん? 面倒くさくないん?」と聞いてみたんですが、「ママとはおしゃべりしたり、お出かけしたりしたい。楽しいから、そのままでいい」だそうです。なら、よかった。笑
私は子どもたちと細やかにコミュニケーションをとって、何か希望があればそれに沿って何かをしてあげたいなと思うタイプです。子どもの気持ちをわかりたいと思っているし、わかるものだと(たとえ100%じゃなくても)思いたい。一方の夫は、子どもの気持ちはそもそもわかるものではないというスタンスに立ち、だからこそ、子どもの歩みを信頼してそっとしておくことができるタイプ。
この違いがわからなかったときの私は「子どもへの愛情ってこういう形で表現するものだろ」という自分ならではの価値観を夫に乱暴にぶつけては、勝手に不平不満を抱いていたのだけれど。いやいやいや、彼は彼なりの愛情を子どもたちにかけていたんだよなあと、今頃になってしみじみ思います。
そしてその親の違いを子どもたちもそれぞれに受け取っているようで。パパとはこんな関係性、ママとはこんな関係性っていうのを、3人がそれぞれに抱いているように見える。(三者三様って、よく言ったもんだな!)
こんな風に自分やパートナー、子どもたちを見れるようになったのは、自分と相手との間に“数字”を置くようになってから。親子って(特に母親って)子どもと自分は一緒、一心同体って思いたがるフシがありませんか? もちろん、そうじゃないタイプの人もいると思うけど、私は「みんな一緒」と捉える感覚が性質として強いので、どうしてもそう思ってしまうんですよね。
数秘術を学んだとき「親子でもぜんぜん違う」「パートナーとは天と地ほど違うこともある」ってわかった。そして違うままで一緒にいることができる。仲良くすることもできるってことを学びました。
「みんな一緒」が欲しいからこそ、誰かとの間に違いを感じては悲しくなったり落ち込んだりしてきた私が、違いがあるままでいいし、違うからって離れることばかりじゃないというのを知ったのもこの頃。
感覚が違う人とは離れればよくない? わかり合える人同士で付き合ったほうが心地いいし、付き合う人は自分で選んだらいいんだし。と言う人もいると思う。そうかもね、そうやって自分好みの世界を創っていくのもありだと思う。
だけど、ぜんぜん違う人とも一緒に(別にベタベタしろって意味じゃない)、まったく理解できないって思う人とも過ごせるなら、それはとても豊かな世界。
似ているところがあるパートナーだって、血のつながった親子だって、思いのほか自分と異なる性質を持っているものです。ちなみにうちは結婚して26年が経ちますが、いまだに夫は私のやっていることを「何が良いのかわかんない」と言ってます。「だけど応援してる」と。
えー、わかんないけど応援ってできるものなの? とか私は思っちゃうけど、何をやっているかどうかはどうもよくて、ただ応援できるってすごくないですか? こういうとき私は彼から信頼されているんだなって思うから、子どもたちだって同じかもしれない。
理解できなくてもいいから、ただ応援してて。見守ってて。ってね。