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自分の神話で起業する塾 2回目
冨永のむ子さんの「自分の神話で起業する塾」の第2回目でした。
コラージュリーディングとシンボルの解放。
コラージュリーディングは2枚作るのですが、1枚目は、天分を発揮するために現在地を教えてくれるもの。2枚目は生まれ持った世界観を言霊化するコラージュ。(コラージュリーディングの詳細については、冨永のむ子さんのこちらの記事をぜひ)そしてシンボルの解放へと続きました。
私は何を目指していて、今、そのプロセスのどの段階にいるのか。また目指すところに至るために、今、大切にしたほうがいいことは何か。
インスピレーションに導かれるままに切り貼りしたコラージュ。思考をできるだけ挟まない工夫がされているので、自分ではまだ気づいていない内側、潜在意識からの情報が浮かび上がっていました。
「こうなりたい」と思って選んだ切り抜きではないのに、そこにはちゃんと私の深いところの願いが反映されている。すごい!
ある場所に貼ったのは、ブルーの服を着てサングラスをかけた女性の立ち姿。セットアップなんだけどフォーマルな感じではなく、どちらかというと抜け感のある佇まい。そして風になびく髪。私がなりたい姿を象徴するもの。そんな自分になるために、今の私が大切にしたほうがいいことは自分を慈しむこと。女性性を大切にしていこうというメッセージでした。
2枚目のコラージュで言霊化したのは、私の世界観。
癒す人だよね、ヒーラーだよね、文章を読むとすっきりする、話を聞いてもらうとすっきりする、思考が整理される、気持ちが整理される。これまでいろんな人から散々言われてきたことを、私は受け取り拒否してきたんだなというのも、あらためて感じたこと。
受け取り拒否してきたのは、多くの人が口にする「スピリチュアル」や「癒し」というものが、自分の感じているものとは違っていると感じていたからなのかもしれない。それに私の周りにはガチ目のヒーラーさんが複数いるので、「私なんて」という思いもあったのかもしれません。
また、癒し=優しさ、寄り添い、共感などであるならば、私に寄り添い力はないしなあ、理解はするけど共感は薄いしなあと思ってもいたのです。
でもよくよく思い返せば、この敏感体質は生まれ持ったもの。目の前の人の体調や詰まり?のようなものを敏感に感じ取ってしまうと自覚できるようになったのは、大人になってから(特にここ5〜6年のこと)ですが、実際は子どもの頃から、たとえば学校の先生が本当はめちゃくちゃ怒っているのに笑顔でいることや、母親が本当は体調が悪いのに元気そうに振る舞うことなどを敏感に感じるような子でした。
「見透かされているような気がする」と言われることも多かったのですが、それを怖いと言われると、ごめん……って感じで。だったら感じないほうがいい、わからないほうがいいと、自分を鈍感にさせてきたところもあるのかもしれません。
ちょっと脱線しましたが、2枚目のコラージュから浮かび上がった私の世界観が言霊になったものを目にしたとき、ぶわーっと鳥肌がたちました。今はキーワードがぽんぽんと並んだだけなんですが、そのどれもが私であり、私が求めてきたものであり、これから届けていきたいこと。
それが直感的なワークから導き出されるなんて。もう降参です。
散らばっていたものがシューっとひとつにまとまるような、途切れていたシナプスがプチプチと音を立てながら再接続したような、そんな体験。シンボルについても「へ?それなの?」と思うと同時に、「やっぱりね」という不思議な感覚でした。