わからないものは、わからないままで
いよいよスタートした「自分の神話で起業する塾」。およそ1年にわたって、起業するための在り方、具体的な実践方法を学びます。
受講を決めるまでのこと、決めたときのドキドキはこちらの記事に。
ここ最近、何かの学びをリアルタイムにアウトプットすることを避けていました。学びたてのこと=まだしっかり理解できていないことを発信するのってカッコ悪いんじゃないかとか、ごく私的な感想や体験を知りたい人なんているのかなとか、理由はいろいろあるけれど。
でも、この未完全さや未消化なところも含めて、今回は言語化することをやってみようと思っています。
というのも、数秘術のセッションを提供するなかで、「自分の使命を知る」ことと「自分の使命を生きる」ことの間には、だいぶ大きな隔たりがあるなと感じることが多かったんです。いや、みんなもれなく「自分の使命をすでに生きてはいる」んですけどね。
たとえば数秘術や占星術などで、自分の「使命」と言われるものに気づけたとして。そのときは「そっか。これが私の使命なんだ!」「これからは使命に導かれて生きていこう!」と鼻息荒く思うものですよね。
でも、いざその使命を「仕事」として表現し、その仕事によって「対価を得る」というフェーズに進もうとした途端、何から手をつけたらいいかわからないっていう人、一定数いるんじゃないかと思います。
あるいはやってみたものの、思うような結果や成果が出ずに「これって本当に私の使命なのかな」と疑いたくなる。そして、また自分の納得いく結果が欲しくなって、別の鑑定やセッションへ……。
私もずいぶんと長いこと、そんなループの中にいました。
でも元々ビジネス脳を持ち合わせている人ならともかく、そうじゃない私のような人は知らないだけなのかもしれないと思ったんです。使命を仕事に繋げていくやり方を。そのために必要なマインドも。
今や、さまざまなところで情報は無料でとれるけれど、見よう見まねだけでは限界があって、何より本質のところを理解していなければ、「やったつもり」になるだけだなあとも思う。
今、私が「自分のやりたいことをやって対価を得ている」感覚は50〜60%。けっして悪くない。でも良くもない。好きでやっている仕事もあれば、お金のためだけにやっている仕事も正直あります。でも、それが社会人じゃんって言われれば、そうだなとも思う。
別に使命を仕事にしなくてもいいと思う自分もいるのです。家族のために、食べていくために仕事をするのもアリだよね。仕事があるだけ、報酬をもらえているだけ恵まれているじゃないか。そう頭では思えても、自分の深いところがYesとは言っていない。
もし子どもたちから、将来、仕事についての相談を受けたときに、「仕事はね、食べていくためにするものだから、多少の我慢や無理はつきものだよ。それが社会人なんだし、大人ってそういうものなんだから」って答える自分を想像したら蕁麻疹が出ちゃいそう。同時に、食べていくために仕事をしている私がここにいるという現実にも、正直、萎える…。
そんな矛盾を認識しつつも、自分の使命や天命と言われるものをベースに、オリジナルの事業を立ち上げることを本気でやってみたい。そんな自分の気持ちに応えたくなりました。
結果が出るとか出ないとかまったく未知だけど、私のこれから次第のはず。ただ教えてもらったこと、学んだことを素直にやってみたい。その先にある景色を見てみたい。
カッコ悪くてもいいや。とっちらかっているものは、とっちらかったままで。わからないことは、わからないままで。無理して整理しようとせずに、わかったふりなんてせずに。ただただ、やってみるよっていう宣言。
その過程をここにアウトプットしていきたいと思っています。