母が倒れていた朝のこと

ちょうど一年前の2023年の年の暮れ。

軽度知的障がい、自閉症、
統合失調の姉がインフルエンザに罹患しました。
その頃、姉は86歳の母と二人暮らし。
母は、家の中でも車椅子生活になりつつも
気丈に家事をしている状況でした。

私は、二世帯住宅の2階に住み
母と姉は一階に住んでいました。
玄関も何もかも別の二世帯住宅なので、
母が元気な頃は、数日顔を合わさないことも
よくありました。

でも、母が車椅子のお世話になるようになった
2年前からは、
1日に一回は様子を見に行き
おかずなどを届けたりする生活になっていました。

姉がインフルエンザになって
高齢で、糖尿病もある母にうつしたくなかったのですが、

私は夫の実家に行かなければなりませんでした。


夫の実家は、鹿児島。
2023年の夏に義父がコロナで亡くなってから
義母からも目が離せなくなっていました。

私と夫と次女(当時9歳)は、
年末年始の約1週間、鹿児島に帰省する予定を
随分前から決めていました。

姉のインフルエンザも心配でしたが、
その予定を動かすことはできず。

その私たちがいない間に、母は心配していた通り
姉からインフルエンザをうつされてました。

私たちが鹿児島から東京に戻った時には、
相当具合が悪くなっていました。

母はちょっと認知が入ったかな?

と思うことがありました。


朝と夜の区別がついていなかったり、
トンチンカンなことを口走っていたり…

ケアマネさんに電話をかけて様子を話すと、
「明日の朝訪問します」
と言ってもらえました。

少し安心して、次の朝
母の様子を見に行くと、

何と、母が床に転がっていました。

母は、夜中の12時ごろ、
寝室の床に転んで大腿部を骨折し、
動けなくなっていたようでした。

1月の寒さの中、暖房も消えた中で
布団も毛布もないところで
寝巻き一枚でした。

発見した時は、意識がありましたが、
トイレもその場でしちゃっているし、
相当にやばい状況。

暖房をかけたり、服を着替えさせたりしているうちに
程なくケアマネさんが到着。

2人で様子をみて、
これは、救急車を呼ぼう、という話になりました。

大急ぎで入院の用意をし、
救急車で病院に向かいました。

その時、姉は呆然とその様子を
遠くから見て、
何が起こっているのか?理解できない感じでした。


それにしても、
母はどうして姉に助けを呼ばなかったのか?

ちょっと声を出せば、
姉は気がついて、2階にいる私に
何とか知らせることはできたのでは?
と思いました。

しかし、母はあえてそうはせずに
一晩中、冷たい床に転がっていることを選んだのか、
と思いました。

「お姉ちゃんに言っても、来るもんか」

と、母は救急車のなかで
目をつぶったまま言いました。

どういうつもりでそう言ったのか?

病院に着くと、いろいろな検査をして、
大腿部の骨折だけではなく、
血液中の塩分濃度が極端に低くなって
せん妄状態にあることがわかりました。

そのため、大腿部の手術は今すぐは
できないとのこと。

入院手続きやら何やかんやで、
朝入院して、帰れたのは夕方5時過ぎでした。

その日から、
姉の面倒を見る生活が、スタートしたのでした。



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