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「孤独」を再定義
こんにちは
ちなつです。
「孤独」という言葉の捉え方を変えてみたよ。
というお話です。
一般的に孤独とは、どういう意味でしょうか。
Google先生に聞いてみましょう。
精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。 「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。
wikipediaさんが言うように、「孤独感を感じる」というと、
周りに頼ることができる人がいなくて独りぼっちな状態をイメージしていました。
独りで辛いのに誰も助けてくれない状況、まさに孤独。
でもね、先日こんなお話を聞いたのです。
「孤独とは、周りからの支援を認めない様子」を言うんだと。
前者は私からの目線で、助けてくれる人がいないという視点。
後者は周りはたくさんの手を差し伸べているのだけど、それに気が付つくことができていないという第三者的立場から見た視点。
ちょっとした違いなのですが、この話を聞いて私はびっくりしました。
自分がかけた眼鏡を通して世界を見ているから、孤独に思えているだけで、
常に周りには誰かがいてくれるのかもしれない!
孤独ってありえないのかもしれない。
常に誰かいるって、聞きようによっては怖いですけどね、、( ゚Д゚)
前回こんな記事を書きました。
この記事では、「体は自分のものなのか?
自分のものではなく、一時的に借りているだけのものではないのか」、ということを書いています。
体が借り物だとしたら、自分では孤独だと思っていても体は常にそばにいてくれています。
常にあなたに寄り添って、呼吸をして心臓を動かして血液を体中に送ってくれている。
そう、生きている限りは孤独ではない。
でも、そのことに気が付かなければ分からない。
体からしたら、「こんなに手を差し伸べているのに気が付いていないわ。」
となって、「周りからの支援を認められていない」状態となるのです。
「孤独とは、周りからの支援を認めない様子」
この定義をしばらく採用してみようと思います。
視点を変えれば、言葉の見方も変わる。
もし「孤独だな」と思うことがあったら、
この孤独は本当かな、、、?
そんな視点を持ってみても面白いのかもしれません。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!