Twitterでつぶやいた言葉たち:1
Twitterは呼吸のように使っていて、自分が気がついたことや、心の整理のためにたくさん使っているツールです。
今までの言葉で、ちょっと取っておきたいものをまとめていきたいと思います。(加筆修正もしていきます。)
◆2022年3月1日~6月1日
「ちゃんとした人間でない自分は落伍者だ」 落ちこぼれ、とイメージすることで惨めになる。
「ちゃんとしなくても、生きてて偉い」で、いいのではないのかな… ちゃんとしない=落伍者、という構造が、手放せたらもっといいのにね。 ちゃんとしてなくても意外と普通だし、多くの人は気にしないものです。
色で例えるならば、 「白くあらねばならぬのに、白でいられないなら私は黒だ」と決めつけることをやめて、 「白でも黒でも灰色でも、黄色でも青でもなんでもよろしいがな」 です。
自虐的な人も、自罰的人も、その言葉は何のために使っているのか、冷静に考えた方がいい。本当にもったいないから。「普通の小さな自分」を安心して見つめられないと、物語は転換しなくなってしまいます。
自虐をすることで、「今のそのままの自分」を容認している、という論を目にしましたが、わざわざ貶めなくても「今のそのままの自分」を容認することはできます。 でも、理想の生活ではなかったり、今に納得がいっていないことの悔しさが「自分を虐めて気を晴らしている」ならば、とても辛いものでしょう。
でも、自分を容認することと、自分を“好きでいる”ことは別です。
嫌いなままでも、いい。ただ虐める必要はない。
犬でも猫でも人間でも、“何かを虐めることで心を慰める”ことは、 不毛なのでやめた方がいいに決まっています。
淡々と生きるか、じわじわと頑張るか、選ぶのはそのふたつがまず最初にあるのかもしれません。
”嫌いな自分”と一緒にいるのは、思いのほか胆力がいります。
バカバカバカ!とののしる方が楽なんです。
でも、そんなことをして、「平和な気持ち」とか「朗らかな気持ち」とか、なれるわけないのは当たり前で、やっぱりちょっと、惨めでも、「今の等身大の自分」を胸に抱きあげて、まずは泣くといいのです。
自分が自分をきちんと、憐れんで、泣いてあげること。
そして、たっぷりと慰めて、「今からできる小さな目標」を見つける。
絶望しないで、光の粒を拾うこと。闇に安心できるように。
「立派な自分」ではなく「快適な自分」や「落ち着いた自分」をイメージしてみて、ありとあらゆる手法で、自分を救うのです。
お風呂に入り、お腹を満たし、栄養を摂り、運動をし、よく眠ること。
動物としての自分を、ちゃんと世話すること。
自分のお世話を楽しくできるようになったら、きっと外の世界の見え方も変わるはずです。 もっと、自分にケアをすることを、(これこそが自愛です)小さな楽しい気分を、少しでも増やすこと。
困りごとを、自分一人で解消できないこと(社会的な構造)で、自分を追い詰めないこと。 何に困っているのか、クリアにすること。
クリアになって、それからまた小さな一歩を歩くことです。