Twitterでつぶやいた言葉たち:2
Twitterは呼吸のように使っていて、自分が気がついたことや、心の整理のためにたくさん使っているツールです。今までの言葉で、ちょっと取っておきたいものをまとめていきたいと思います。(加筆修正もしていきます。)
◆2021年11月27日~
まず、人間には「弱いところや”とほほ”なところがある」と認めた上で、自分の弱さも、あって普通だな、と思うこと。
他者の弱さも、あって当然とも。
そのやるせなさや、ぼやきたいことを、仲良くボヤける相手は「信頼関係」が必要です。
これは「良い毛づくろい」としての愚痴や弱さです。
かなりハードな内容でも、話者本人に落としどころが既にできていて、聞くだけ、受け止めるだけでも「友情」や「信頼」でもあります。
(受け止められない人もいる)
自分でどうしたら良いのかもわからない「問題」や「病的」「激しいトラウマ」になっているものを開示されて、なおかつそれを受容して欲しいと話者が願ったり、慰撫して欲しいと願うと、(引かない人もいるけれど)大概の人は聞かされても何もできず、時には拒絶感を示します。
プロじゃないからね。
重たい話題や、ハッピーじゃない話題は基本的に「人を傷つけたり汚す可能性がある」ことも忘れてはいけません。でも、全部隠さなきゃいけないわけでもなく、誰かにいうことが端的に”悪いこと”でもない…時と場合と、相手と、分量と匂いが問題なのです。
自分の情けなさや弱さも、時には誰かを慰めることもあります。
みんなそれぞれで不完全なので、だからこそ親身になれるのだとも。
自分の中の傷も痛みも、みっともなさも、失敗も、全部、水晶の中のインクルージョンみたいに思えれば、きっと柔らかな気持ちになれるでしょう。