「アート×地域資源」で始まる新しい1ページ
森から町へ「降りていく」
今井 今回も北海道で文化芸術プロジェクトづくりに関わる木野哲也さんにお話を伺います。これまでのお話の中で、飛生には本当にいろんな人たちがいろんな地域から集まってくるという話を伺ったんですけれども、飛生アートコミュニティーの活動が地元にはどう広がっているんでしょうか?
木野 きっと「飛生の活動をものすごく知ってます」っていう方はそんなに多い気はしてないです。でもこれまでにやってきたことが、メディアに載ったり、ずいぶん飛生に人が行ってるなとかという印象はあると思います。また飛生の森のメンバーが、白老町内で買い物したり、お店に立ち寄ったりすると、コミュニケーションが生まれますよね。そういうところから「何かやってるんだな」と思っている住民の方々も多いと思います。あとは2017年ぐらいから、私たち飛生のメンバーが町の方に「降りていく」って言い方もありますが、森から町の方に繰り出していって、小さなイベントとか演劇とか音楽とかをやり始めてるのが、町との関わりとして始まってきたところです。
村上 飛生アートコミュニティーにお邪魔させてもらったときに、たくさんチラシがあったんです。そこからも町に降りていく活動が広がってるような印象を受けるんすけど、木野さん自身はそれをどう見ていますか。
木野 僕が降りていった1人なので、いろんなチラシを作ってる1人です。飛生で何か人と一緒にやっていくこととか、共同・共創したりすることで、何かが育まれてきたメンバーが多いと思うんです。僕もその1人です。よく「地域の資源」って言い方をすると思うんですけど、僕の場合はアートとか文化芸術っていう一つの表現方法に魅力を感じている中で、地域資源をどう見るか、ちょっと思っていることがあります。
一つは地域の有形・無形な資源と、アーティスト、あるいは多様な第三者とも言えると思うんですけど、そこの掛け算です。その魅力が面白いな、無限だなと思っています。
それと、アートっていう言葉が先行しちゃうと、やっぱりいろんな世代の方たちにとって、ちょっと引いちゃう言葉だと思うんですね。そうじゃなくて、やっぱりこっちが降りていくべきだから、僕は「文化」という言葉を最近すごく使うようになっています。例えば文化って何ですかって言われると、なかなか答えるのが難しいと思うんです。定義がどこにあるんだろうって。僕の中では、文化について一ついいなって思ってる解釈があって、それは「人が一人、生きて死ぬまでが文化じゃないか」、と思ってるんです。
もっと言うと、おばあちゃんが教えてくれたこととか、おじいちゃんが干していた「サケのとば」とか、子供たちの学校帰りのくだらない歌とか、そういうのって文化じゃないかって思うんです。
面白いことに、文化って隣町に行くだけで違うじゃないですか。京都と大阪だって近いけど全然違う。その違いも文化だと言えるし、その違いを面白いと思えるような、そういう社会、日本に希望を感じているとこがあります。かなり大きく言っちゃうと。
おばあちゃんの昔話とか、そういう地域の文化資源にアーティストが出会うと何が起きるんだろう? きっといろいろありそうですよね。
それと、人々の記憶、土地の記憶、それも大切な資源だと思うんです。そういったものを、アートや文化はもう1回掘り起こすことができたり、もう1回光を当てることができたりするのってアートじゃないですか、それがアートの得意分野じゃないですか。
もう一度、人と人がゆっくり結びなおされたりするような場面を体験したので、そういう意味でやっぱり「地域資源×多様な第三者」に可能性を僕は感じています。
村上 僕らの番組の話で恐縮なんですけど、初期の頃からずっと言っていたのは、「未来は変えられない。僕らが本当に変えられるのは過去だ」っていう言い方を僕らはさせてもらってるんです。未来っていうものは何か自分で変えていくものではなくて、あくまで応えてくれるもの。むしろもう過去に起きてしまった出来事のほうが、それはもう事実は変えられないように思うかもしれないけど、過去を僕らが引き継いでいくなかで、悲しい過去だって解釈によってはもしかしたらプラスに変るかもしれないし、その逆もある。過去の栄光みたいのって、意外とその先の生き方によってすぐ潰れてしまうこともある。僕は今までの極地のいろんな人たちから、そういう部分をなんとなく思っているんです。
その中で、この番組自体がネイティブっていうキーワードだからこそ出してるんですけど、今のお話にすごく過去の再解釈、過去にアーティストが出会うことによって、木野さんは資源という言い方をされていましたけど、何か別の解釈が生まれてくるっていうのは、つながる部分があるとちょっと驚いたんですけど。
地域の中で起きてきた化学反応みたいなものが、未来にどう影響を与えていくのか、何かイメージしていますか。
木野 そうですね。きっかけづくりだと思うんですね。アートプロジェクトやアートが起きた現場。飛生にもつながるんですけど、一つは子供たちに見せたいっていうのがあります。ちょっと寂しく、小さくてあまり元気のない町、みたいな言われ方をする町ってどうしても多いし、みんなどこの町も高齢化で子供はいなくて、移住定住みたいなことをやってると思うんです。
それはいいと思うんだけど、いろんな大人が笑って楽しそうに町で何か面白そうなことしている。それを見せたいですね。その姿を。その姿勢を。
ぶれないコツ
村上 すごいなと思うのが、大人たちが本気で遊んでいくようなものが、1種類じゃなくていろんなところで出てきたときに、飛生の中で見たものは、バラバラなんだけど、そこに何かある種の統一感を感じたことです。1回目のお話で、いろんなものが森の中に作品は点在しているんだけども、黒い鳥という物語で一つにつながっていくとか、そこに一つの何か根底にあるような、何か仕掛けと言っていいのかわからないけど、構図が町の中にもあるように感じたんです。だからバラバラしてないし、でも、こうじゃなきゃいけないというものでもないから、いろんなことも起きうる。その絶妙なバランスは狙ってもなかなかできないと思うし、でも狙っている部分もあるんだろうなとも思います。そういうところって何か意識されていますか。
木野 すごく短く言うと、アーティストの人が地域に一定期間滞在してもらって何かを制作して発表するっていう流れがあるじゃないですか。そこで一つルール的に依頼していることは、「必ず自分の足で歩くこと」です。コミュニケーションすること、自立心を持って臨むこと。地域の有形無形の、人も含めた資源と出会って、それをモチーフにしてほしいこと。それが一つベースにあるので、何か関わっていくような人々が空気や何か起きていく温度感というか、躍動感っていうのが、小さかろう大きかろう、あるのかなと思います。
村上 驚きというか、すごく新鮮なのは「自分で歩くこと」っていうところもそうだけど、その1個1個はすごく難しい縛りではないと思うんです。だけど、それを今言ったいくつかのことを守ると、結果的に統一感が出てくるとこに行き着く。この絶妙な感じはやっぱり不思議だなというか、すごいなって思います。
逆に、これまでに厳しくしようとしたり、カチッってつくったり、今までつくってみたけど失敗したみたいな経験があったりするんですか。
木野 例えば美術館であれば明確なお題を決めることは、逆にそうあったらいいじゃんって感じですけど、やっぱり町では目に見えないいろんなものと出会うはずで、そこは全てが白老町の生活文化です。
僕は文化って言いましたけど、要するにそれは生活文化であり、今生きてることそのものも捉えてほしいんです。そこから何が見えてくるのか。もちろんアーティストと一緒に付き添ったり、ディレクションしたり、マネジメントしたりするような人と情報共有しながらつくってはいきますけど。
でも今言われて、逆にしばってみようかなとも思いました。なるほどそういうのも面白いな。ありがとうございますヒントをいただいて・笑
村上 もう1つ、今のしばりというかルールみたいなところで伺いたいのが、「15カ条」が貼ってあったじゃないすか。
木野 あれ、めっちゃいいですよね。「みんなでかなえる 飛生の森づくり 15カ条」
村上 はい。それを、ちょっと紹介いただいていいすか。
木野 例えば「男子たちもご飯をつくろう」とか、「帰る前のトイレ掃除」とか、「女子も森で作業しよう」とか、「グッとくるような森の物語をみんなでつくろう」とか。「子どもたちも大人たちも学びの時間をつくろう」とか、「見かけない人、話したことない人に、声をかけ語ろう」とか。当たり前のことなんですけど、みんなでかなえる森づくり15カ条みたいな感じのタイトルで、一昨年ぐらいに習字のうまい人にまとめて書いてもらいました。今全部思い出せません!笑
村上 なんか絶妙な感じのその15カ条のバランスもそうだし、さっき「降りていく」ときにアーティストにこういうふうに関わってもらいながらっていうところもそうですが、この番組はネイティブっていうキーワードでお話を聞いていますけど、何かそのあたりにコミュニティーを続けていけるためのヒントみたいなものがあるような気がするんです。今井さんはどう感じました?
今井 まず一つは、アーティストだけでなく本当に幅広い人がこの活動に関わることがあるのかなと思いました。もう一つは、有形無形のものに関わらず地域資源に注目して、それをアーティストにリミックスしてつくってもらうことによって、アートの側もこれまでとは違うものができてくる効果があると思うし、逆に地域の人からしてみたら、自分たちの生活文化にすごく注目してもらって、それが作品につながっていって表現になることは、やっぱりそれは「誇り」につながるうれしいことだろうなと思うんです。今までは飛生というところで何かしらやってるらしいっていうものから、だんだん自分たちの生活文化にスポットライトが当たることで、双方向性というか、どちらにとってもいい関係でいられるっていうことは、長く続けるためにやっぱり必要なことなのかなって、私は感じました。
木野 ありがとうございます。一つ二つ例を挙げると、白老町の駅前に今、カメラ屋さんがあるんですね。そこのひいおじいちゃんとかの代、たぶん昭和30年代ごろかな…に、駅売りのお菓子を売るメーカーがあったんです。首から板をぶら下げて、そこにお菓子を置いて、いかがですかみたいにして売っていた。それにたまたま出会って、例えば演劇を書く人とか、脚本にする人とかが、そのご子息たちの家族たちにヒアリングを始めたんです。それで当時のお菓子を作っていた人たちにまつわる朗読劇ができたんです。
演出アレンジを加えたラジオ仕立ての音楽朗読劇みたいなものです。そのお菓子は「雁月・淡雪(がんづき・わゆき)」っていうお菓子だったんですが、やっていくうちに、きっとラジオだったらこういうCMだったんじゃない?っていうラジオCMみたいのもミュージシャンたちと考えて、雁月・淡雪のCMも挟みながら構成する音楽朗読劇を録音することにしました。それを街の人たちにも聞いてもらいました。そして今、CDにして新しいお土産として白老駅で売ってるんですよ。
そういうのも地域資源と向き合った形かなと思っています。必ずしもキラキラしたアート作品ではないことの方が僕は多いですね。
今井 それはもう、飛生も含めた白老全体で、一つの新しい文化が生まれ始めているような、そんな感想も持ちました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 吉川麻子)
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次回のお知らせ
引き続き、北海道で文化芸術プロジェクトづくりにかかわる木野哲也さんに伺います。共同アトリエとして始まった飛生アートコミュニティーに森づくりの要素を加えた木野さん。森をつくりつつ、育ってきたのは人の輪でした。どのようなことをされているのか次回もたっぷりと聞きます。
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