コミュニティーの無名性と、身の丈の規模感
不在の人も含めた街
今井 前回からここ3回のシリーズの振り返りをしています。前回は、地域に根付いて暮らしていくにあたって、まず個が必要だという話と、暮らしていくためには仲間にあたるコミュニティーが必要という話にもなりました。このコミュニティーという言葉について、村上さんはどういうイメージを持っていますか。
村上 一般的にいえばコミュニティーっていうと、そこには社会、ソサエティーみたいな意味も裏にあるような気がしています。それなりの人数がいながらコミュニケーションをしているような、中央帯的なイメージがある印象は持っています。そうすると石川県加賀市の限界集落、大土の回で出てきた二枚田さんという方は、最後の1人だったりするわけですよね。そこに、そもそもコミュニティーっていうものが生まれるのかっていうと、人数的なイメージからしてもちょっと違う例かなと思うんです。
ただ一方で、間違いなくこれがコミュニティーと言い切れるようにも思うんです。その辺がちょっと面白い事例だななんて思ったりもしますが。今井さんどうですか?
今井 私はまだ加賀市大土町には伺ったことないんですけれども、最後の二枚田さんがすごく大きな存在で、二枚田さんを軸にいろんな人が、例えばスタディーツアーにやってきたり、木村さんは映像のイベントを開催したりしていました。一方でいろいろな方がやってくるけれども、例えばレストランを作ろうみたいな方が来ても、ふさわしくないと思えばそれを拒み、退ける方でもあるんだという話も伺いました。
一般的なコミュニティーっていうと、誰か1人の意思によってではなくて、みんなで合意形成がなされるみたいなイメージがあるんですけど、すごく人数が少ないからこそ、この場所においては、二枚田さんのウエートがすごく大きくなってしまっているっていうのはあるのかなと思いました。
村上 そうですよね。だから何かこれがコミュニティーなのかしらって思っちゃう理由って、なんかコミュニティーって何か無名の存在の集まりみたいなイメージがあります。いや本当は違うかもしんないすけど、なんかそう思ったりする。二枚田さんっていう方は無名の存在ではないわけですよ。めちゃめちゃバーンっていう感じで。
なんか印象として違うのかなって思う一方で、僕は二枚田さんって、どうしてもそこに1人住んでいるから名前が知られていますが、ある意味その動き方とか、関わり方はすごく無名な感じもするんです。例えば、具体的にそこを訪れる人の典型として、ボランティアが訪れている話をしてたじゃないすか。でもそれはすごく面白かったと思いながらも、長続きしなかったり、いっときだけだったり、しばらく間があく人もいたり。いろんなパターンがあっても長続きしなくて。要するに二枚田さんみたいに名前が付いた形では残っていかなかったりする人もいれば、木村さんみたいに自分の名前のついた作家として入ってるような人もいる。
面白いなと思ったのが、その土地の所有者がしっかりいるってことが印象に残ってるんです。地区は無人なんだから、家を借りられるんじゃないかって思っても、意外と借りられない。それは二枚田さんがあれだけ手入れしてる村を、数年に1回なのかたまに帰省なのかわかりませんが帰ってくると、気持ちとしては手放していいやって思った人が、なんか惜しくなっちゃうみたいな印象でした。見えてはいないんだけど、そこにいる人たちがいて、そういった意味では、関わろうと思って関わったコミュニティーじゃなくても、結構コミュニティーってのがいる気がします。二枚田さんとか木村さんとか名前がつくと、個と個の関わりのように見えるんだけど、でもそれでも何かコミュニティーというふうな文脈で捉えられるのは、何かそういう面白いバラエティーに富んだ関わり方があるんだなっていうように思いました。
今井 二枚田さんは多分そこに住んでいらっしゃらない住民の方々のことをすごく意識して行動しているのかなとも感じました。小さなコミュニティーであったものの、今もそこにいない人たちを代表している者として、そこにいらっしゃるのかなってすごく感じました。
村上 お手本がいないコミュニティーのような気がするんですよね。北海道白老町の方のコミュニティーは、それも地元の人とか札幌の人がとかいろいろな関わり方のパターンはあるにしても、僕みたいなパターンで関わった人ってもうちょっと何人かいて、先にそういう人がいて、なんとなくこういうふうに関わっていいんだっていう、ある種のモデルがありながら、そのモデルがたくさんあるんだと思うんです。
大土に関しては、モデルはたくさんあるんですけども、個々の事情すぎて、誰1人として同じ事情がいない関わり方です。もしかしたら、これを日本全国みたいなとこで広げれば、同じ事情に陥ってる限界集落ってめちゃめちゃたくさんあって、大土だけ見ればたった1人なのかもしれないけど、ある種の限界集落のモデルと考えればそのお手本みたいな存在にもなっていくのかなと思います。
大土と白老のコミュニティーを対比すると、めちゃめちゃ面白いなって感じが今改めてしてますね。
コミュニティーの広がりと回帰
今井 私は後半の国松さんと木野さんに北海道の白老町飛生の話を聞くなかで、「飛生アートコミュニティー」として活動してる人たちがいるってことは、長い間なんとなく知られているようないないような存在で、地域の人たちからも「あの人たち何やってるんだろう」みたいな、ちょっと距離があったっていう話をされたんですよね。
それが木野さんたちの「第2世代」になって、地域との交流を持っていくことが必要だと。木野さんたちのコミュニティーがもう少し、そうではない人たちを含めて関わっていく必要を感じて、「森から街に降りていく」っていう言葉を使っていたのがすごく印象的でした。
私は活動の母体となる地域に、少しずつ開いていくことがこのコミュニティーを維持する上では、長くやっていくと必要になってくるのかなっていうことも少し感じたんですけども、この辺り村上さんはどう受け止めてますか。
村上 そういうふうにも捉えられるし、よりオープンにしたっていうのが、なんとなく僕のイメージとはちょっと違うような感じがしているんです。
どちらかというと、アートコミュニティーという形でオープンにしすぎたんじゃないかなと思うんですよね。それこそ村祭りをやったときに、コロナの前のときもすごい人が来ちゃってって話も聞いてるんです。そうなったときに、もっとオープンに行っていうので街に降りてきたんじゃないような感じがどうもするんですよね。
オープンにしすぎた結果、ある種、飛生のあの校舎の求心力が強くなりすぎた気もして。だからむしろ目隠しじゃないけど、わざと他にも広げていって、境界を少しぼやかせるというか、なんかオープンするよりも、外に防波堤みたいなのを作ったようにも見えなくもないんですよね。むしろ壁として。
僕の勝手な想像です。
今井 今の話を聞く限りでいうと、大きくなりすぎた要因というのは、もしかしたらその飛生コミュニティーというものが地域という枠を超えて広がりすぎた結果として、「大きくなりすぎた」っていうことなのかなと思いました。個からコミュニティー、コミュニティーから地域、地域から全国あるいは世界という順を踏んだのではなく、そういうのを飛び越えてしまったがために、多分何か足元の「地域」が抜け落ちちゃったのかなっていうふうにもちょっと聞こえました。
だからむしろ「街に降りていく」っていう言葉でありながら、街に戻ってきたっていうようなことなのかな。もう少し広げるにしても、何の関係もない人たちではなくて、地域という点ではつながりのある人たちに戻っていこうというようなベクトルなのかなっていうふうに感じました。
村上 そうですよね。なんかこんなこというと、あとから木野さんとか国松さんとかから「全然違うよ」っていわれるかもしれないんすけど、例えるんだったら思春期は成長していくわけですよ。初めは素直にいろんなことを学びながらなんですけど、ある時、自分の体がぐっと成長しすぎてそれに対して着てる服とかそういったものが合わないとか、なんか大きくなりすぎちゃったかなみたいにバランスが崩れて、気持ちもちょっとイライラするみたいなところも含めてなんですけど。
コミュニティーもある意味、生まれてから広がって成長していったときに、何かその体ってのは、自分が思う体もありますけど、外から見られたときにあなたこういう体だよねっていうラベリングのところも含めて、そこが何か一致しなくて、改めてそういった意味で今井さんが言ったみたいに、「いや、やっぱりそもそも飛生、白老で生まれたんだったら、白老っていう形の服を着ようよ」みたいな。そうすることで、もう1度自分は何者なのかを確かめようとする、そういうふうにも感じられなくはないなと思うんですね。
今井 面白い例えですね。だから無理をしないというか、少しずつ階段を一歩一歩登るように本来広がっていくべきものを、あまり飛び越えてしまうことがあると、ちょっと限界が来るのかなっていう気はしました。それを飛生の方々はうまく軌道修正をしながらやっている。多分それって多分、普段のコミュニティーの中でいろんな「15か条」もありましたけれども、ああいうものを軸にしながらコミュニケーションがしっかり取れてるからこそ、自分たちの向かう方向ってどういうことなんだろうみたいなところが持てているのかなって感じます。
村上 あの15か条の話もそうだし、木野さんにどうやってコミュニティーを維持しているんですか?って聞いたとき、もう先に1年間の予定を決めますといっていました。その1年間の予定は何かと、いざ聞いてみたら、森作りの計画なのかなと思ったら、ほとんどいつバーベキューします、いつご飯食べますみたいな、そういう話で、合間なんていったら語弊があるけど、森も作りますみたいな。何かそういうふうに聞こえたんですよね。
それと15か条についても今思った言葉をそのままいいますけど、何かを重ねて、さっきの体の成長・思春期みたいなのを重ねると、木野さんはすごくお母さんみたいだって思っています。成長していく人たちのコミュニティーに対して、「まずちゃんと食べなきゃだめよ」というようにご飯の計画から考える。やっぱりしつけみたいなのもあるから、みんなこういうルールを守りましょうねとか、あんた忘れ物してないの?みたいな15か条のなかに、そんな気持ちが含まれてるような気がして、「お母さん」というのが、今しっくり僕の中に入ってきちゃったんですけど。
今井 僕らも15か条を作って、これからまたネイティブを続けていった方がいいかもしれませんね。
(文・ネイティブ編集長 今井尚、写真提供 木村悟之 木野哲也)
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