地元の公立小学校に通っていた。 小学校1年生の担任が厳しくて恐くて評判の男性の先生だった。 今の時代だと絶対に物議をかもであろう「おしおき棒」なるものを常に手に持っていた。 ガクブル。 しかもうちの母親はそのこっわーい先生に 「うちの娘をビシバシ指導してください、もし言うことを聞かなければ容赦なく叱ってください。どうぞよろしくお願います」 と挨拶をしていたのを小1ながらに強烈に覚えている。 案の定私は何度も叱られた。おしおき棒でお尻をバシバシやられた。 悪いこ
幼稚園は徒歩圏内にいくつかあったにも関わらず、園バス使ってちょっと遠いところまで通っていました。 同じマンションにそこに通ってる園児が多かったので、きっとうちもそうしたのでしょう。 制服がグレーの上下にエンジ色のベレー帽という不思議なファッションでした。 幼稚園時代は特にインパクトのあった出来事は無いです。ただ記憶が薄いだけかな。 初めて好きな男の子ができたのもこの幼稚園時代でしたねえ。 特に大きな怪我や病気もなく毎日通っていたと思います。 ・・・と言いたいところで
それは約40年前のこと。 転勤族だった我が家がちょうど神戸に住んでる時に私は産声をあげた。 その前は東京にいて、その前は宮崎県にいたようだ。 生後6ヶ月に福岡に転勤になりそこから自立する22歳までそこで暮らすことになる。 私の両親はどちらも宮崎の出身。親戚もみんな宮崎。 母の話。あまり育児に熱心ではなく破天荒な性格の母は、母子手帳とかそういったものは早々に紛失したらしく、生まれた時の体重や身長とかも覚えていないというので生まれた時のことはよくわからない。 小学校の
最近私の周りのイケてる方々がnoteを続々始めているので、なんかただごとじゃないぞ、と思い始める今日この頃。 そのイケてる友人の1人、Tちゃん(男性)からとっても良いことを学んだ。彼もまた最近noteを始めた1人である。 それは、タイトルにもある「マイストーリーは宝の山」 自分の歴史の棚卸し。 アラフォーの私、人生折り返しということで人生を振り返るのも良いねえ。 誰も興味ないし見て徳するような内容ではないだろうけど、ま、広い世界の片隅に生を受けた小さな1人の人間の物
どうやら今日は暦だか易だか詳しくはないけど、なんかめっちゃいい日らしい。(ぼやっとしすぎ) えっと、なんだっけ。 天赦日(てんしゃにち)と一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)が重なってラッキー♪ということらしい。 あちこちネットでこのワードを調べていると、どうやら何かを始めるのに良い日だとこぞって言っているじゃないの。 おっしゃ、じゃあ始めたろうじゃないの。 noteにyoutubeに、ストレッチに筋トレに。 ・・・今日1日続けば良しとしよう。(自分の最大に甘い)
地球という星に生まれ、この世界で生きていくには息をしてご飯を食べて出すものを出さないといけない。 そして家族にしろ友人にしろ仕事にしろ、社会的に誰かと繋がって成り立つ世界であり、黙っていても何も始まらない「行動の星」なのである。 「行動の星」だからといって、全く自由に行動して良いものでもない。 私には夫と子供がいて、例えば「今日は私は何もしたくないので1日寝室にこもってまーす」とか、真夜中に突然起きて布団の上で軽快にエクササイズを始め出したりとか躊躇する。 1人で静かに