掛け算の順序という悪魔
掛け算の順序という話題がどうやら半世紀にも渡って延焼しているらしい。
筆者個人としては、「小学校はそんなのもあったなぁ、懐かしいなぁ」という程度の認識だったのだが、掛け算の順序に対して大きな熱意を抱く人達によって無為な論争に巻き込まれてしまった。
その為、これを機に掛け算の順序とはそもそも何なのかという事を主題に筆者の身内にいる教員の意見を含めて論じていこうと思う。
掛け算の順序とは
用いられる理由
掛け算の順序が採点に含まれるのは、専ら小学校の算数で出題される文章問題である。
この文章問題において、教科書通りの「一つ分×幾つ分」の順序で立式されていなければ減点もしくはバツがつくというのが、掛け算の順序における採点基準となっている。
これについて、掛け算には交換法則があるのだから、順序なんてどちらでもいいだろうという反対意見が主だったものであるが、そもそも「一つ分×幾つ分」で指導する理由について理解していなければ、この問題に対する誤読は免れないものであろう。
そもそもとして、小学校低学年というのは人の話は聞かないし、聞いても覚えていないし、文章構築力や読解力の面でも非常に未熟な段階である。それに加えて各家庭の方針や早生まれ遅生まれで個人差も非常に大きな時期だ。
対して、小学2年生で習う事になる掛け算における「一つ分×幾つ分」という概念は、学年が上がると「一つ分」は「単位量」、「幾つ分」は「割合」といった新たな概念へと拡張される事となる為に今後の事も考えると重要といえる概念である。
筆者の身内にいる教員の意見もこれと同じで、「「一つ分」「幾つ分」の概念の習得に失敗すると後々苦労する」と述べている。
先述の通り、「一つ分」が「単位量」、「幾つ分」が「割合」といった概念へと拡張される事を考えれば、「一つ分」「幾つ分」の概念の習得ができなかった児童が後の単元で躓く事は容易に想像できるだろう。
それをクラスの半分が話を聞いていればまだいい方の児童達に教えなければならないのだが、例えば同一店舗で用いる伝票に「単価」「個数」の順序がそのままだったり逆だったりするものが混在していると混乱をきたすというのは想像に難くない。
そこで、小学校の間は「一つ分」「幾つ分」の習得にあたって、児童の混乱を避ける為に可能な限り教科書に書いてある通りの「一つ分×幾つ分」という順序で表そうというのが掛け算の順序というものなのだ。
あくまで「一つ分」「幾つ分」を視覚的にわかりやすくする為にあらかじめ書き表す順番を決めておこうといった類のものである為、掛け算の可換性を否定するものではないという事は先に言っておきたい。
そして、教科書に書いてある通りにする利点について、児童が授業の復習をしようと見返した時に授業と教科書の内容が一致していれば復習も捗るという点は否定しようがないだろう。
別に授業を「幾つ分×一つ分」で進める事自体は自由だと思うが、それで児童が復習しようとした際に板書を写したノートやプリントと教科書の内容が食い違っていて混乱を来たしたとしても筆者は責任を取らない。
会社のマニュアルでは「個数×単価」で書くようにとなっているのに、実際の業務では「単価×個数」で回っているようなものだ。「どっちかに統一しとけよ…」と思わない者だけが「「幾つ分×一つ分」でもいいのではないか」と言いなさい。
同じ理由で、「一つ分×幾つ分」「幾つ分×一つ分」のどちらでもよいとする事にも否定的な考えを示さざるを得ない。
後半でも同じ事を述べているが、同一店舗で使用する伝票に「個数×単価」のものと「単価×個数」のものが混在していたら、少なからず「ややこしい」と思うのではないだろうか。新人教育においても、「この伝票は「個数×単価」だけどこっちの伝票は~」とやる位なら「統一しとけよ…」と思うものではないか。
そもそも、算数の教科書を作成するにあたっては、数十人に渡る大学教授なりが監修を務めている訳である。
その大学教授達が「教科書では掛け算を「一つ分×幾つ分」で定義します。授業もこの通りに進むと思いますがそれでいいですね?」という事について「Yes」を出しているのだから、順序自由派(笑)の皆様におかれましては、Twitterで順序を肯定する人達に噛みついては罵倒をぶつける暇があったらこうした大学教授達に直接文句を言えばいいのではないかと思う次第である。
また、これについて、教員の激務を例に出して順序指導を擁護した場合に「順序指導を止めれば楽になる」といった意見が見られるが、そもそも順序指導を行う目的は「掛け算の意味理解」「児童に「一つ分」「幾つ分」の概念を理解させる」「文章問題の読み飛ばし防止」である。
特に最後の「文章問題の読み飛ばし防止」は後々の事を考えると重要であろう。「掛け算の問題だから出てきた数字を掛け合わせればよい」という解き方で果たして文章問題への読解力は鍛えられるのだろうか?
そうなると、順序指導を行わないのであれば、順序指導に代わる「「一つ分」「幾つ分」概念の習得法」「掛け算の意味理解習得法」「文章問題への読解力習得法」が必要になるのは理解できるはずだ。
つまり、順序指導Aを廃止にしたところで、順序指導の代わりになる代替指導A´あるいはそれ以上の指導がそこに入り込む訳である。
仕事が減るどころか増えかねないのである。楽になる要素がどこにもないにも関わらず、こんな単純な「良くてプラマイゼロ」に気付かないのは理解力や想像力が不足していると言わざるを得ない。
ここで掛け算の順序を否定する派閥は「一つ分と幾つ分は一意に決まるものではない」と返すのがお約束のようになっているが、これが小学校低学年レベルの問題であるという大前提を忘れていると言わざるを得ない。
例を出してみよう
ここの「難しい」とされるpdfをどれでもいいから見てみて欲しい。
正直言って、「難しい」とされるレベルでもこれである。
数問程度、数字が出てきた順番通りに立式すると順序指導的には誤答となる問題は存在するものの、トランプ配り等という逆にややこしくさせる考え方なんかは特に必要とされない。
大人からすれば、これで「一つ分×幾つ分」を同定できない方がどうかしていると思う位だが、それができない、難しいとされるのが小学校低学年というものなのだ。
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