表現規制問題とその対策について考える
11月に岐阜県青少年保護育成条例判例の解説noteを投稿して3か月程度が経過した。
それを踏まえて、個人的に意見の変化等もあったので観測している範囲の問題点について軽くまとめてみたいと思う。
「不健全図書指定制度」の何が問題かについて
これについては、まず「表現規制である」という問題点が挙げられるだろう。
特にラディカルな表現の自由派はゾーニングも表現規制であると訴えている事から、「表現規制である」というこの一点だけで問題であるとするのは理解するところである。
しかし、最高裁判決である岐阜県青少年保護育成条例事件において、「青少年の知る権利は成人に比較して制限される」として現状では許容されているという事は忘れてはならない。
この制度に関して、「東京都も馬鹿じゃないんだから判例や施行規則を踏まえた運用をしているだろう」と思っていたのだが、11月末に噴出した所謂コラボ問題に対する東京都のこれまでの対応を見るに「いや馬鹿なんじゃね?」と感じる点が多々あった。
東京都の福祉課と都の審議会は別々の管轄ではあると思われるが、東京都のお粗末な対応が審議会にも伝播しているとの見方を否定できるものでもない。
いい加減な対応をしている部署を放置している団体では他の部署もいい加減な対応をしていると考えるのはそこまで不自然な考えではないだろう。
「不健全図書指定がゼロ」がこのところ続いているようだが、その理由が「規制反対派がうるさいから」等の理由であるなら実にいい加減な運用だと言わざるを得ない。
では、そもそも「不健全図書指定制度」とは何だろうか。
「不健全図書指定制度」は東京都青少年の健全な育成に関する条例(以下「都条例」)第8条に定められた規定で、その基準は東京都青少年の健全な育成に関する条例施行規則第15条に定められている。
エロについては概ね性器や結合状態の直接描写が含まれるものが指定されているらしいが、こういった基準が曖昧であるという主張は頷けるところもあろう。
出版社による自主団体によって出版前に「事前チェックヨシ!」を出した作品が不健全図書指定されれば「どうして……」となるのは理解できるところだ。
また、審議会の手法について、今まで又聞きでしかなかったが記事によって確定?したようなので引用したい。
不健全図書指定がゼロになる前は毎月1冊以上が選定されていたという。
100冊も買えば該当するのもあるのでは…と考えるか、いやノルマになってないか?と疑問を抱くか、色々思うところはあるだろうが、実情がこうしてはっきりしたのは収穫と言えるだろう。
そして、不健全図書指定をされた作品がどうなるかだが、販売において区分陳列義務が課される事になる(東京都青少年の健全な育成に関する条例第9条)(東京都青少年の健全な育成に関する条例施行規則第19条)。
この区別陳列義務により、成人向けコーナーを作れる店舗は限られるものとなる……という事らしいが、これによる「不健全図書指定によって流通に大きな制約を受ける」というのも問題点となっている。
岐阜県青少年保護育成条例事件でも、「規制しても成人が手に取れるならセーフ」という基準があるのだから、流通に大きな制約があり、成人も手に取れない状況というのは判例の望むところではないだろう。
この規定は各都道府県によって異なる為、厳しい規定の自治体について私は詳しい訳ではない。
ただ、何かイメージでよく言われる「暖簾」が必要かと言われれば別にその限りではないというのは条文も見てもわかると思う。
とまぁ、区別陳列義務によって、不健全図書指定を受けた作品は成人向けコーナーが設置してある書店でしか流通する事ができなくなる。
天下のAmazonでも不健全図書指定を受けると取り扱いを止めるという融通の利かなさであるし、取次を停止されれば流通もできない事から、不健全図書指定の影響は決して小さくはないという事は理解できる。
そして、この不健全図書指定制度が都条例第1条「この条例は、青少年の環境の整備を助長するとともに、青少年の福祉を阻害するおそれのある行為を防止し、もつて青少年の健全な育成を図ることを目的とする。」に合致しているかは、エログロの青少年への悪影響に関する科学的根拠等がまるでない為に非常に疑問の残るところではある。
しかし、これもまた岐阜県青少年保護育成条例事件において、「証拠はなくても社会共通認識による蓋然性があれば足りる」と解されている点については留意が必要である。
岐阜県青少年保護育成条例事件判例を見てもわかるように、現在の法的見解では都条例等による表現規制を撤廃する論理を導く事は難しいというのは先のnoteで述べた通りであるし、その結論は今のところ変わらない。
では、仮に現在の法制度が変化するとして、どのような変化・対策が想定されるかを考えたい。
1.現在の法制度に変化がない場合
これは先述のnoteで述べた、「男女平等に自主規制を施す」というのがまず一案として挙げられる。
これについては、「自主規制の内容が男性向け/女性向けで異なるのはおかしいではないか」という層にも合致するだろう。
筆者としても、あくまで「今どうするのか」「BLも条例に適合した方がよい」という事を問うている訳であって、「男女平等」を支持するものであるから、頷ける部分も多い案である。
しかし、この3か月の間で意見が変わった点もある。
それが「販売体制の構築が未発達であるなら、商業ガチエロBLだけ電子書籍に退避する」という案である。
都条例は電子書籍については対象外となっている為、どれだけ電子書籍でガチエロを出そうと不健全図書指定は不可能となっている。
「成人向け表記で売りたいが出版社が許してくれない」「販売体制が整っていないので成人向け表記では売れない」というのなら、条例対象外のコンテンツで売ればよいのではないかという案。
紙媒体で出版するとその限りではない為に注意が必要だが、これもまた条例に適合する一つの形であると言えるだろう。
ここで「商業ガチエロBL」だけ名指しで挙げた理由だが、男性向け成人誌は既に販売体制が構築されている為、電子書籍に限定する理由がほぼほぼ存在しない。
ただまぁ、「電子書籍のみに販路が限定されるのも規制だ」と言われたらどうしようもないという点はその通り。
条例が現実にあって効力を発揮しているのだから無視する訳にもいかないだろうという点は理解して欲しいものである。
2.不健全図書指定制度が残る場合
これは「不健全図書指定制度はなくせないものの、他の規制についてはどうにかできる」というパターンである。
例えば、不健全図書指定を受けると区分陳列義務が課されるというのは先の通りであるが、この区分陳列義務が「書店側の負担が重すぎる」等の理由で緩和/撤廃された場合にはどうなるだろうか。
各書店において、少年誌・青年誌・成人誌といったジャンル分けをするであろうが、成人誌における指定の陳列条件が少なくなる/なくなるという事である。
小さな書店でも大きな労力を払う事なく一般の棚と相違ない成人向けコーナーを設置できるとなれば、流通における制約も小さくなるのではないだろうか。
販売規制がそのままである為、レジ等での年齢確認は必要になるものの、これまでと比較すれば所要コストは改善されるのではないかと考える。
単純に「子供にエロ本を買わせたくない」といった層も年齢確認が残るならまぁ…と納得できる余地もあるのではないだろうか。
販売規制が緩和/撤廃される場合は不健全図書指定制度の存在意義も消失する為、ここでは考えないものとする。
3.不健全図書指定制度が廃止された場合
これは不健全図書指定制度が廃止され、区分陳列義務も販売規制も何もかも撤廃された場合である。
表現の自由派としては歓迎すべきパターンではあるが、この事を憂慮する層も存在する。
具体的に言えば、「マイノリティであるゲイを取り扱ったファンタジーエロ本を性教育も未整備な未成年のゲイが買えるのはどうなのか」といった感じである。
先の岐阜県青少年保護育成条例事件でも触れていたように、規制反対派が忘れてはいけないのは世間一般の社会共通認識である。
「エロ本を未成年が買えるようにする……ってコト!?」に真正面から「はい」と言って受け入れられるだろうか。少しは言い方を考えた方がいいと思う。
また、都条例始め全国の条例によって、「未成年がエロ本を買う」という事は出版・販売側がコストを負う事であらかじめ防がれていたという面もある。
そのコストを各家庭が負うようにするのだから、「それが自由なんで」とか言ってないで、説得する理由付けを考えろと言いたい。
筆者としては、仮にゾーニングといった表現規制の類が廃止されたとしても、成人向けというレーティング自体は残ると考えている。
それは、ワ○マガジンやコ○マガジン等の成人向け出版社を書店側が陳列する場合、わざわざ集○社やKAD○KAWA等と混同させるとは考えにくいからだ。
結局、少年誌・青年誌・成人誌といったジャンル分けが為されるのではないかと考える。
また、例えば「エロゲかと思って買ったらギャルゲだった!」又はその逆のような事故・クレームを避ける為に、エロを売りにする創作者は自主的に成人向けマークをつけて「これはエロいですよ」と消費者にアピールをするのではないだろうか。勿論、出版社や表紙を見て購読層が判断するというのも可能ではあるが、購読層の手間を考えると見ただけで判別可能なマークをつけるのがアピールとしては手っ取り早いのではないか。
以上の事から、成人向けというジャンルとして存続するものと考えるが、成人向けがジャンルとして残るならば、各家庭で「あのコーナーには近寄っちゃいけません」といった指導が可能なまま継続するのではないかと思う。
それに、例え各表現規制が撤廃されたとしても、出版社にも読者層毎の販売戦略がある訳だから、「少年ジャ○プに過激なエログロを載せてやるぜ」みたいな連載会議はいくら自由になったからといって通らないのではないかと思う。また何十年か経って規制の恐怖を忘れた頃になるとどうなるかはわからないが。
エログロの境界が曖昧になってくる青年誌辺りになると規制撤廃の影響も表れてくるだろうが、読者層も高校生位になるはずであるからその位の年齢になれば分別もつくだろうし許容範囲と言ってもいいのではないだろうか。
BLについても読者層が若くても中高生位であると想定すれば悪影響は無視できる範囲に留まるように思うが、BLが元々マイノリティを扱う関係上、「未成年ゲイがファンタジーエロ本を教科書にせざるを得ない状況」は他方面で性教育の充実等を行い潰していく必要があると考える。
これらの事から、筆者の予想する「規制撤廃後もレーティング制度は存続する」という前提においては、世間一般に向けては「規制はなくなり、書店や出版社の負担は軽減されますが販売体制は今と大きく変わりませんよ」というような説得が有効ではないかと思う。
他の「規制撤廃したらこうなるのでは?」という予想もあるだろうが、あくまで筆者の一予想である事は了承願いたい。
また、不健全図書指定制度はあくまで「東京都」の話なので、青少年保護育成条例が存続している他道府県には関係のない話である。
今までは「大元の東京でチェックしてるからヨシ!」で実質機能していなかったであろう個別指定や包括指定が復活する恐れは否定できない。
これについては「他道府県で頑張れ」と言われたらその通りである為、各道府県の規制反対派の働きが期待されるところである。同様の表現規制は現在46都道府県に存在している為、都条例が何とかなったとして残り45道府県。都条例の改正もしくは撤廃が先例となる事を願う他ない。
終わりに
以上、それぞれ3つの視点からアプローチを考えさせてもらった。
この3か月で変わった点といえば「ガチエロBLが電子書籍に退避するならそれもアリ」という点位で、「悪法も法なり」に始まるこれまでの主張に大きな違いはないが、変化には違いないので明記しておく。
ひとまず思うところを書いたので、不十分である、他の視点もあるといった意見もあるだろうが、ご了承願いたい。
一応言っておくと、「ぼくのかんがえたさいきょうのたいさく」という訳ではない。現在行われている、不健全図書指定制度の名称変更も「そういうアプローチもあるのか」と見守っている段階である。
名称の毒抜きを行った上で、「元不健全図書指定制度はその歴史的役割を終えました」といった方向に持っていく事ができれば、最高裁判例を回避しつつ無力化する事も可能かもしれない。
ただ現状では、名称変更の運動を伝える記事においても、「ゾーニングは必要」「時代に合致した制度を検討することが望まれます」とゾーニングを前提とした締めくくりとなっている為、世間一般の壁はまだまだ厚いと感じる次第である。
(追記)
この不健全図書制度の名称変更についてだが、2/9の都議会文教委員会で不採択になったようである。
未定稿との注意があるものの、不採択理由として「子供たちの保護者の意見というのは全く入っていない」という事が挙げられている。
筆者の先のnoteでも触れた通り、この系統の条例を何とかするには社会共通認識を変えなければならないのだが、肝心の条例の当事者である青少年及びその保護者の意見もなしに変えようというのは大分無理がある部分であり、不採択というのも納得する他ないだろう。性急に過ぎたのではないだろうか。
筆者を「法の下の平等戦士」「邪魔をする人」等と揶揄する暇がありながら、条例の当事者でもある保護者へのヒアリングを怠っていたというのではお話にならないだろう。猛省を促したい。
以上追記。
昨今、夫婦別姓や同性婚の議論も活発になっているが、反対する層が危惧している点について、導入後の社会がどうなるかという点は大いに含まれるだろうし、夫婦別姓や同性婚の導入を目論んでいる層(共産党等)への不信感もあるだろう。
表現の自由界隈に対しても、先の「エロ本を未成年に売るのか」といった世間一般の反発に対して、規制緩和・撤廃後の社会について説明する必要があると思われる。コミックの成人向けマークすら導入から30年前後経っているのだから、規制が当たり前で規制導入以前を知らない世代も少なくないのではないか。丁寧な説明を期待したい。
また、表現の自由至上主義を掲げてアナーキーな主張を続ける人達は、夫婦別姓・同性婚議論における共産党等に対するものと同等の不信感を全般に芽生えさせるリスクは織り込み済みなのかが気になっている。
表現の自由が政治活動であるなら、いきなり全ての規制撤廃なんてものは現実的にありえず、段階を踏んで改善していくものという事は理解できるはずである。
こうした世間一般を無視できないとする主張を「迎合だ」と批判されるのは、表現規制反対の活動が政治活動であるなら不適当であると思うし、こうした話題を「権利者じゃないなら黙ってろ」と「規制反対」以外の主張を封じる事は、「9条守れ」を念仏のように唱え続ける事とさしたる違いもないように思う。
以上、何か加筆修正する部分があれば都度修正を行う予定。