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寿命(2)

寿命について何か書こうとしたのだけど、「あれ、このタイトル既視感…」と思って調べたら2015年に書いてた。
あの頃と変わってないところもあるし変わったところもあるから、ちょっと書いてみようかな。

有名な人の訃報を目にした時、その人が80を越えていたりすると「死にもするよなぁ…」と思ってしまう。
だけどふと気づくのだ。私の両親もあと10年もすれば80前後になることに。10年なんて、10年前がついこの前なのだから10年後なんてすぐ先のことだよね。
私の中では寿命は80あたりに設定されているらしく(多くの人がそうだと思うけど)、両親にもせめて80まではピンピンしていてほしいのだが80を越えたら介護も必要になるだろうし、まあ、いずれ死ぬのだろうな…という気持ちになる。とても焦る。私は何かしてあげられただろうか?これから何かしてあげられるだろうか?

(両親と自分との関係性についても思いを巡らせたけど、それだけで本一冊書けそうだったのでそれはまたいつか)

2015年ごろ、私は生きることを死ぬまでの暇つぶしだと感じていたらしい。
それがこの8年の大きな変化で(あるいは行きつ戻りつする波かもしれないけど)、今は天寿を全うしたいという気持ちになっている。生きられる限り生きたい。

多くの人が「年を取って生きやすくなった」と言うけれど、私も全面的に同意だ。昔はすべてが死ぬか生きるかの大問題だったし、すぐ死にたくなったし、いつも絶望していた。今は「まあ、死にはしないでしょ」と思えるようになった。(明日死んだらなんかごめんね) ここまで生きた実績があるからこその自信かもしれない。

それで、私の人生設計は…全然設計してなくて…私、すごく真面目なのに、毎日分刻みでスケジュール立てるのに、明後日以降の人生には無頓着でいられるの本当にどうして?

とにかく漠然と考えているのは50までは今の仕事を続けて、続けながら50以降の糊口を凌ぐための仕事を模索したい。あとは、まあ。(考えてないらしい)
生活の中で仕事したいし、仕事の中で生活したいかな。今もそれに近いけど。
そして60ぐらいまでは働きたい。

あれ、リタイア早すぎたかな。80に死ぬとしたら20年余っちゃった。でも60越えてからフリーランスのまま働いていられる絵が本当に浮かばなくて…60くらいで死んでもまあいいか。まあ、生きられそうだったら生きる。

問題は、「もう十分生きたな」と思った時に、あるいは「もう生きたくないな」と思った時に、自死を選ぶかどうかということよね。選ぶかどうかということよね、ってまあ基本的には選ばない方針で。天寿全うしたいってさっき言ってたじゃん!
自死せずに自分の寿命とどう向き合うのか。やりたいことはたぶん尽きない。尽きない自信がある。でもそれを実現できる気力、体力、お金は尽きる。確実に。理想と現実の乖離に落ち込んだりもするだろう。介護してくれる人もたぶんいない。老いることへの恐れが漠然としたものから現実的なものへと解像度を上げてきた感がある。

でもでも。実際に40代になってみると意外に悪くなかったように、60代も70代も80代も悪くはないのかもしれない。
まあ60まで生きてから考えるわ。それまで生きてるかわからんし。

(生きてたら友だちと家買って老女同士共同生活しよ!)
(40代のガールズトークこうなりがち)

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