ツメクサ数えて、解剖して、半魚人になって、【編入後体験記(嘘)】
この記事はbiolアドカレ2023(https://adventar.org/calendars/9248)、6日目の記事です。
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大学に来てからといえば、本当につまらない毎日である。
朝は起きれないし、授業は全く頭に入らないし、この前の生態学概論はちゃんとDだった。
何か満たされず、死ぬほど寝ても寝不足だ。何を食べてもこれじゃないって思う。いつからこんなに満たされなくなったのだろう。春、そう春には失笑を浮かべながらも期待でいっぱいの私がいたはずなのだ。春、そう春ってどんなだっただろう。
これは個人的な大学での生物学類っぽい出来事の一部を書いたものだ。編入後体験記と書くと有益な情報が載っていると感じるかもしれないが、そんなものはここにはない。あるのは冗長で個人的でオチがない僕のためだけの文章だ。それでも読んでもらえたら嬉しい。(かっこつけてこう書いたが、読み返してみると適当に最初に題名を決めて書き始めたせいでほんっっとうにまとまりがない!!!俺嫌い!!!)
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スーツ姿の新入生を横目に見ながらパーカーでガイダンスを受ける。この後オリエンテーションで何か遊ぶらしいが、俺たち編入生にそんなことは関係ない。2、3年生スタートの俺たちが今から一年生と仲良くなったってどうするんだ。単位変換のExcelを一刻も早く作らなければいけないのだ。時間割だってちゃんと考えなきゃいけない。
盛り上がっている子たちを見ながら、こうやってすぐに友達を作っていくんだろうなと思った。「友達とか、できるんかな、まあいなくても全然いいけど」とか思っていた気がする。
同級生は大体一つ下だし、先輩は同い年だし、だからってタメ口使うのは違うし、でも敬語だと仲良くなれる気がしないしと最初の何ヶ月かは自分の立ち位置を探れずにずっといい子になっていた。
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「なあ、それでさ全然上っ面の会話しかできねえの、もう話しててさ、本当に俺つまらないなって思いながら話してんのよ」
「僕もそうだわ、一回ボケたらマジで無視されちゃってそれでもう怖くなっちゃって今全然ボケられないんだよね」
いつも同じことばかり話していた気がする。地元にはなかったファミレスの joyful で同じ地元から大学に来た唯一の友達と毎週愚痴っていた。
話していても、お互いがそれぞれお互いにあった話をするだけだ。共通の話題は高専時代の話かこういった愚痴しかない。だから話しているのに、何か他人事でどこまでいっても同じテンションで聞くことができない。
だからといって、同じ学類の編入生とする会話といえば事務的なものだけだった。
「体育さ、これ必修と被ってるんだけどこれってどうすればいいの? 来年とる感じ?」
「ああね、俺は春ABだけ受けて来年の秋ABで取る感じになったよ、同じ競技で同じ時間に受けなきゃいけないけど」
「あー、応用体育だからってことか」
「そうそう」
うまくできないなと思いながら話す。仲良くなりたい気持ちはあるが、踏み込めるかと言えば踏み込めない。こんなに俺って話せないやつだっけと何度も思った。
大体愚痴は3パターンだ。「忙しい」「友達と仲良くなれない」「なんか満たされない」今でも同じことを言っている気もするが。
そんな愚痴ばかりの私だったが、最初に生物学類内で楽しいと思えたのはあの憎たらしいツメクサの実験だった。
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「x, 215!!!、y,325!!!」
寒さをごまかすように、あとは単純にふざけたくて叫んでいた。僕たちは実験でムラサキツメクサをひたすら数えていた。
高専時代のエメラルドグリーンの作業着で来たのは半分正解で半分不正解だった。汚れは気にしなくていいが、寒すぎる。5月半ばの夜がこんなに寒いとは思わなかった。時刻はもう19:30を過ぎていた。
合法的な状況で大声を出すのは気持ちがいい。データを復唱するのが大事だと先生が言ったのが悪いのだ。最初は効率的に進んでいることを他の班にアピールして牽制してやろうとか言っていたが、最終的に終わってみればほとんどドベみたいなもんだった。
寒いと言いながら、データをまとめる。
「やっと終わったね」
「マジで寒い」などと言うみんなの中に一人
「いや!! 本当にいい経験をさせてもらった!!」とかシンプルバカでかい声で話すめちゃポジティブ一年生がいた。アホだと思った。が、同時にめちゃくちゃ好きだと思った。
この頃には、入ったサークルにもだんだん慣れてきていた。
某iGEMと文芸部である。
iGEMでは「企業とかに対する対外用のまとめスライドを作って欲しい」という仕事を「多分この中で俺が一番スライド上手く作れる」という謎の自信から手を挙げてしまい、四苦八苦していた。
それもそうである。iGEMという大会自体よくわかっていない状況の入って一ヶ月と少しのやつが対外用のスライドを作るには、iGEMそのものについてはもちろん、やろうとしている研究の概要、先行研究、やってきた教育活動と専門家へのヒアリングなどこれまでやってきたことを全部知らなきゃいけない。全てを一から作るわけではないからよかったものの大分苦労した。
後半はいい仕事がしたいという純粋なやる気は0になり、「ここで頑張って仕事できるやつ認定してもらえれば後でサボってもいい感じになるだろう」という企みだけでスライドを作っていた。なんとか形になってたくさん褒められ、ちゃんと仕事するやつみたいに思ってもらえた。企み通りである。その後PVや文化祭でもっと苦労することになるとはこのときは思っていなかったが、そんなものだ。
文芸部は高専を卒業する前から入ろうと思っていたので、最初の数ヶ月は本当に夢のようだった。部誌で読んでいた人と実際に話せて仲良くしてもらえる、自分の作品を読んでもらえて、それが「樹林」という部誌にのる。本当に嬉しかった。
キャベツを机で食べたり、朝までwiiをしたり、酒飲んで麻雀したりといかにもフィクションの中の捻くれた大学生みたいな遊びもしていた。そういうことができるのも文芸部の良さだった。
真面目と不真面目を反復横跳びする。
頑張ってみんなで一つの大きなことをすることも、かたやそれらをできるだけ遠ざけ斜めからふざけることにだけに価値を求めることも、どちらのサークルも僕には大事な時間だった。
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夏休み、僕は解剖していた。そう、解剖だ。そういう実習のようなものに自分で応募して参加していた。自分の無力さを思い切り感じたのはこのときだった。
青いビニール手袋をしてメスを持ち、解剖用のハサミを使ってよくわからない筋肉を剥がしてよくわからない器官を観察する。よくわからないまま次の説明を聞き、やっぱり何言ってるかわからないなと思う。
一方僕以外は全員頷いてわかっているようだった。何言ってるかわからない質問をして何やら議論して盛り上がっている。
先生が手本を見せてくれて、
「これが、あのvelumだよ」と何やら呪文を唱えたかと思うと、
「へー」とか「あーこれが」とかみんな言っている。
(どの??)と思いながらスマホで「ベーラム 解剖」とかって調べると「軟口蓋」とか出てくる。ふざけている。「りんご」がわからない人に「appleだよ」と言っても全く説明にならないのだ。
首を傾げながら唯一話せるiGEMの友人に逐一「え?これあってる? え??これなに?? え??これって切って本当に大丈夫なやつ???」と確認していた。
その先生の研究の関心が自分のドンピシャで一度雰囲気を見るためにも参加しようと行った実習だったが、今まで全く触れてこなかった比較解剖学や形態学を勉強しなきゃいけないらしいということだけ学んで終わった。
自分の無力さを痛感したのはそれだけではない。
懇親会と称された飲み会にて、話は生物だけでなくエンタメに飛ぶ。
「あの映画見た? 俺結局五回みたんだけど(知らないな)」
「あの本読んだ?(名前だけしか知らないな)」
「あれは俺好きじゃないんだよな、だって〜(読んだことあるけど、めっちゃ批判されてるな)」
エンタメですら俺はついていけないのか、と梅酒をただただちびちび飲む人になっていた。
本物になりてえなと思いながら元気に挨拶し逃げるように帰った。
スケッチばかりしている楽な生物学類の端っこにはやはり自分の全く手の届かない世界が広がっていた。この感覚、自分だけが何も知らなくてひとりぼっちにされているような、自分だけが無力で矮小で価値がない人間に思える感覚は久しぶりだった。
もし、ツメクサのときのあの子ならこんなときも
「いや!! いい経験になったな!! ありがとうございました!!」と言うのだろうか。多分言うだろう。
その後の一年生と一緒に受けている基礎生物学実験で行われるカエルとザリガニの解剖では無双できると思っていたが、実際はそんなことはなく、やはり自分の無力さというか不器用さを再確認した。カエルの脳を頭蓋を開けて観察できたときだけは褒められた。いやぁ嬉かった。
既に大学生活にも慣れ、楽しいこともいっぱいあったが逆に慣れすぎてこの頃の口癖は「カマしたい」だった。そんな自分のカマしたい欲を一気に満たしてくれたのが文化祭だった。
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文化祭、俺は半魚人になっていた。(画像は私ではなく後輩が被っているところだが、一番写りがいいのがこれだったのでこれにした)
「ム゙ー゙ル゙貝゙!!!ム゙ー゙ル゙貝゙!!!」
声が死ぬほどこもっていて全く聞こえていないらしい。iGEMの露店でムール貝の料理を売ることになり、iGEMパーカーに身を包み半魚人のマスクをして僕は後輩と先輩に誘導してもらいながらほとんど見えない視界の中、ムール貝の宣伝をしていた。
なぜ半魚人か? 理由は特にない。なんでもよかったができるだけキモいマスクを買おうと思ったらそれだった。
30分ぐらい経ったところで半魚人マスクでは宣伝しても売れないことに気づく。
それからは普通に声掛け、否、押し売りに戻った。
「あ、カップルさんですか? ですよね! いやぁいいですね、カップルで文化祭周るなんて、あのうちムール貝やってるんですけどどうですか? (微妙な反応)そうっすよねぇ? ムール貝ってなりますよねぇ、でも逆に、逆にですよ、文化祭で今までムール貝食べたことないですよね ですよねぇ、食べてみませんか? どうですか? いや、マジで味はうまいんすよ、ねぇ、彼氏さん、なんなら隣の彼女さんとシェアしちゃってくださいよ〜 メニューなんですけど、、、」
カップルは狙いやすい。彼氏は彼女にいいところ見せたい生き物だからだ。
彼女さんがちょっとでも気になっているのを感じたら彼氏さんは買わざる負えないのである。ノンストップで話して気を引く。文章にすると大分ウザいが、というか実際もウザいと思われていると思うが、そこは明るさとテンションでどうにかなる。面白いやつだと思われたら勝ちなのだ。もしくは、ここで買わなかったら少し罪悪感あるかもと思わせたら勝ちなのだ。
世間話を交えながら少しずつ店の近くに自然に足を進めていく。いつ間にか店前に辿り着いたらそこには看板がある。あとはメニューを見てもらって
「じゃあこれにしようかな」を待つだけだ。
これが気持ち良すぎた。そして実際にたくさん買って頂けた。
こういうときだけ、僕は無敵になれる。「カマしていいスイッチ」が入れば、これになれるのだ。ほぼ別人格だ。本当にどこかにある別の人格を降ろしている感覚だ。
その別人格になっているときだけは、本当に生きている実感がする。
仲のいい好きな人がたくさんいるところでお酒が入るとこれに近くなれるときがある。
それこそiGEMのお疲れ様会は本当に楽しく、後輩がたくさんいる前でとても酔っていた。意識はあるし、自分では普通に振る舞っているつもりなのに大抵何を言ってもウケていた。とても気持ちよかった。
パリ組の一人が高いウニの瓶を買ってきてくれていて、みんなで食べて僕にその瓶が回ってきたときに
「なんだっけ、あの、ウニの寺子屋のやつ、あの、ああマイクロインジェクションか。俺は今から割り箸でマイクロインジェクションする!」と言うと信じられないぐらいウケた。
専門用語でボケてウケる、こんなに気持ちいいことはない。
酔っていると何をしても「この人の言動は酔っているから笑っていいものなんだ」っていう空気が無意識にでき、そのおかげでウケるし、ウケるからたくさん話せる。
話を戻すと、結局文化祭ではひたすらにムール貝を売って終わった。ほとんど他の展示は見れなかったがそれでも本当にやってよかった。
20:30ぐらいだったと思う。無事ムール貝を売り終わり、僕たちは片付けで友達の家に色々な物を戻しに6人で歩いていた。
花火の時間はすぐそこまで迫っていて、片付けが終わり帰り道の途中で遠くで火薬が弾ける音が聞こえた。
歩道橋が近くにあってしょうがないからと僕たちはそこで花火を見ていた。石の広場には残りの片付けをしてくれている一年生がいる。戻るかここで見るか迷っていたが、花火が思ったより早く終わり第二陣があるかもしれないと誰かが言ったことをきっかけに全力で走った。
体力がなく、途中から普通に歩いたがなんとか間に合いベストタイミングで花火をみることができた。漫画かよと思った。
いい文化祭だった!! 本当に!!
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薄っぺらいが、大学に来てから何度も思うことがある。
「色んな人がいる、本当に色んな人がいるのだな」と。
そして全く逆の感想を持つこともある。
「みんな一緒だな」と。
キャラクター的な、何かのキャラになりきろうとするイタい中学生が自然になるまで極められたような、そんな不自然さを人から感じることがあるのだ。
何かのエピソードがあるわけではないのだ。ただ、そう感じるのだ。
逆にみんな一緒だなと感じるときは、乱暴に言えば「ああ、またこのキャラの人だ」と思うときだ。初めて話すのに、どこかで一度見たことがあるような不気味な既視感。
人そのものだけでなく、会話や状況でも同じようなことを思うときがある。
うまく言語化するのは難しいが、
「この会話(この状況)、全く知らないどこかの誰かもしているんだろうな」とそんなときは思うのだ。そういうデジャヴ感を感じると途端に全てが嘘っぽく思えてしまうことがある。
だから、純粋さや自然さ、本物さをいつもどこかで求めている。そして同時に自分の嘘っぽさも感じて嫌になる。
僕はあなたとあなたとしかできない会話がしたいと思っている(と思う)。極個人的な話が、時間が、それだけが心が動いている瞬間だと思うのだ。
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大学に来てからといえば、本当につまらない毎日である。
朝は起きれないし、授業は全く頭に入らないし、この前の生態学概論はちゃんとDだった。
それでも、楽しかったことを思い出そうとすればたくさんある。いつも頑張れない自分にもこのときは頑張れたと思える瞬間はそれなりにある。
前までいた高専のことで思い出されるのは、楽しかったことばかりだ。正確に言えば心が動いていていたときのことばかりだ。
心が動かない日が続くとお腹が空いていないのに爆食するか、高専時代の動画をループしてしまう。そして言うのだ。
「高専に戻りたい」と。こうして過去は凄まじい速度で美化されていく。
心が動いている時間とは、決して布団でスマホを5時間眺めていた日ではない。決してテンプレートをなぞっている時間ではない。しかし日常とはテンプレートな時間そのものである。僕たちはこれに抵抗するか慣れるかしないといけない。
そしていつまで経ってもガキな私は、抵抗したくてしょうがない。
だから、真に考えるべき問題なんて要はこれだけなんだ。
「今日を昨日にしないために、何をしよう」
三回唱えよう
キョウヲキノウニシナイタメニナニヲシヨウ
キョウヲキノウニシナイタメニナニヲシヨウ
キョウヲキノウニシナイタメニナニヲシヨウ
「今日を昨日にしないために何をしよう教(今日)」の完成である。
さて、今日を昨日にしないために、何をしようか。