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日本学術会議の存在意義が失われているのではないか?

こういうこと書く時間あるなら小説を書くべきなんだが。前置き終わり。
Twitterでの呟きを編纂して並べたものだ。

菅首相が日本学術会議の推薦候補者105人のうち6人を任命拒否したという報道があったが、法的な問題点についてわかりやすく解説してるのが上記の記事である。
原則として任命拒否できないと考えるべきと結論づけながらも、例外的に任命拒否できる場合についても考察している部分が中立的かつ理知的で好印象であった。

ただその上で、記事を読んでも欠けている部分がある。日本学術会議が具体的に何をしているのだろうかだ。
日本学術会議が具体的にどのような活動実態を持つのか、日本学術会議による勧告や提言が果たしてどれほどまで政府の方針に影響するのか、そういった部分が欠落しているように思われた。

そこで検索ヒットした記事が以下だ。2018年の記事である。

全長20キロに及ぶ直線上の素粒子加速器を建設し、科学者を集ってヒッグス粒子やダークマターの解明をしようという「国際リニアコライダー計画」というものがあるが、これに対して日本学術会議は反対をしたという記事だ。

記事の内容は各人で見てほしい。国民の血税がかかるものに数千億円の建設費や数百億円の維持費かけるのは慎重にならなければというのはわかる。
だが、その学術的な探求が、学者間での個人的な立ち位置や恨み妬みによって左右されるのなら、中立で独立した第三者的な観点は著しく損なわれてるのではないか?

ましてやこの日本学術会議、年間で10億円近く費やされているが、果たしてその費用に見合う何かしらの成果を出せたかというと疑わしい。費用の観点から他者の学術的な活動に反対するのであれば、自身らも費用に見合う実績を挙げないと、自分に甘く他人に厳しいという他ない。不平等ここに極まれりだ。

日本学術会議の本来の目的は学術の進歩に寄与することである。
だというのに日本学術会議の中で政治的な派閥や党派が力を持ち、個人のアカデミックな発言や行動や探求を権威に抑圧されてしまえば、そこには決して独立した中立的な観点なんてものは存在しないし、学問の自由を真っ向から相反する。

そして日本学術会議の勧告がどれだけ法的効力を持つかというと、法的拘束力は無い。それもそのはずで政府と日本学術会議は独立して然るべきなのだから、もし互いに牽制しあったり抑止する立場にあればそれは独立とは呼べない。
あくまで純粋に知見を求めたり提言する場であり、その存在によって学問の自由を保障するものであるが、国際リニアコライダーの件を見ると学者たちでの派閥や権威争いの道具に成り下がってるのではないかという疑念も拭いきれない。

結局のところ、日本学術会議というのはその不透明さと成果の見えなさを鑑みるに、学術の中立性なぞ形骸化された権威の箔であり地位権力のポストであり、本来の存在意義を失った組織でしかない、というのが個人的見解だ。
このような組織で学問の自由の保障をされてはたまったものじゃあない。

とまぁここまで書いたが、如何に日本学術会議の存在意義が空虚であろうと、如何に形骸化した組織の会員をただ右から左へ任命するだけというセーフティですらない行為であろうと、なぜ上記の6名を任命拒否したかの具体的な説明は求められるかもはしれない。例外的な任命拒否に値する理由があれば筋は通る。

ただし記事を見る限り、彼らの活動内容は安全保障関連法案反対であったり共謀罪の反対であったり、学術というよりも政治的な活動に偏っている面々だ。甘利明の国会レポート第410号(2020.8.8)では日本学術会議が中国の千人会議に協力しているとの指摘がされている。果たして彼らは中立的にこれを説明できるのだろうか。

これだけ閉鎖的な権威主義の組織に、本当に学問の自由という存在意義を果たしているといえるのだろうか。

話が長くなってきたので、締めくくりとしよう。
また会おう。



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