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人生を味わうための「働く」とは
昨年思い出したように書いたnoteから、早1年半が経過していた。
少し前に「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本が話題になったが、私の場合は「なぜ働いていると筆が進まなくなるのか」なのかもしれない。
あるいは、「なぜ働いていると思考を深める時間が取れなくなるのか」でもある気がする。
(今「あるいは」って書いて、うわ〜〜めちゃくちゃ執筆してる〜〜!と感じて体温が上がっている。「あるいは」なんて口語であまり使わないので。)
働く、ということをスタートさせてから、今年で4年目に突入した。
最近よく「働くってどういうことだろう」と考えており、このタイミングで少し自分のこれまでの考えも振り返っておこうと思う。
私が働いている理由は、主に2つある。
1つ目は、「自分が人生のすべての瞬間を諦めたくないから」だ。
これに関しては多様な考え方があって然るべきだと思うが、私は仕事を含む自分の人生の全ての時間を味わうことを諦めたくない。
生活のため、と割り切って仕事をする、いわゆる「ライスワーク」という仕事のしかたもあるが、個人的には「ライクワーク」「ライフワーク」を求め続けたいと思っている。
「楽しむ」というのはもちろん手放しで何も考えずにルンルンするという状態のみを指しているのではなく、踏ん張らなければいけない時期や、自分にとって少し腰が重い一歩を踏み出さなければいけないときなど、あらゆる瞬間を含めて「味わう」ことを「楽しむ」と表現している。
1つ目に付随するが、「世の中の人にも、人生のすべての瞬間を愛してほしいから」というのが2つ目の理由である。
世の中の人、というとちょっと大げさに聞こえるが、自分が出会う人たちには、自分の人生を慈しみ、味わってほしいなと勝手に思っている。
仕事柄、今の仕事の不満を聞くことも多いのだが、そこから発展して「本音で挑戦したいこと」「実はやってみたいこと」の話にたどり着くと、全員が一気に表情を明るくさせて溌剌と話しはじめる。
もちろん、仕事は何かを提供して対価を頂くものという性質上、自分がわがままにやりたいことだけをやってお金を十分もらって楽しく暮らす、なんてことは難しい、というかできないだろう。
それでも、たとえば今の仕事の捉え方を変えたり、思い切って環境を変えたりと、何らかのアクションでその人の仕事の時間が少しでも豊かなものになるのなら、少しでもそこに携わりたいなと思う。
なぜ「人生を味わいたい・味わってほしい」と考えるようになったのか、2つ明確に思い当たる理由がある。
1つ目は学生時代。
私は幼少期から英語が好きで、英語圏のカルチャーに触れたり英語そのものを学習したりする中で、将来的にも英語をもっと深く学びたいと考えるようになった。
その環境として相応しいと思った大学があり、高校時代はその大学めがけて勉強をしていた。
ある日、高校の先生と話しているとき、英語を学べる大学に行きたいという話をポロッとしたところ、「女子なんだから潰しの効く学部に行きなよ」と助言のような声掛けをされたことがあった。
今だったら信じられぬほどの瞬間風速を叩き出して反論できる自信があるのだが、当時は違和感を抱えたまま家に帰り、ふつふつと自分の中で怒りが大きくなっていくのを感じるのみだった。
私は幸運にも、一度自分で決めたことは突き通す性質と、天邪鬼で人から言われると逆に向かいたくなる性質を併せ持っていたため、そのありがたい(意味深)助言を真に受けることはなかった。
だが、もし私以外の人が同じような言葉を受け取り、真に受け、本当にその通りに行動してしまったとしたら。
結果的に後悔するかどうかは分からないが、誰かの一言で選択肢や視野が狭まり、本来そこにあるはずだった可能性を奪ってしまうかもしれない。
私はそんなふうに、本来その人が享受できるはずだった人生の喜びや深みを、誰かや社会によってなかったことにされることを許容したくないのだ。
2つ目の理由は、とある職場で働いたときの出来事に由来する。
そこで働く1人の男性社員は結婚しており、彼のパートナーは妊娠中だが仕事を続けているという話をしていた。
彼女は自分の意思で仕事を継続したいと語っていたそうなのだが、その夫である男性社員はこう語っていた。
「子どもができたんだから、仕事なんてせずに家庭に入っていればいいんだよ。俺も辞めろって言ったんだけど聞かなくて。」
その言葉の真意は100%正確には分からないが、私はその言葉の前後の文脈から、彼は「女性は子どもができたら仕事を辞め、家庭に入るべき」という価値観を持っていると感じ取った。
価値観というのは人によって異なるし、「こちらが正しい!」と押し付けることはできない。だが、どうしても私は、誰かの否定的な言葉や可能性を狭めるような価値観により、意思ある人の選択肢が奪われることに違和感や怒りを感じる。
そんな大きく2つの経験がきっかけで、私はすべての人が可能性を奪われることなく、自分の人生を味わいたいように味わい、慈しんでほしいなと思い至るようになった。
(余談だが、私はこの価値観がゆえに、人生の可能性や選択肢を奪われている状況に置かれた主人公が出てくるドラマなどを観ると、あまりの怒りと悔しさで大泣きしてしまう。特に顕著に発揮してしまうのが梨泰院クラスで、2回目の視聴でも悔しくて泣いた。)
そんな理由で仕事をしている私だが、ここ最近は「どう自分の人生を味わうか」にも焦点を当てるようになった。
冒頭で「働くってどういうことだろう」と考えていると書いたが、ここ1〜2年は仕事に軸足を置いて生活しており、仕事以外の人生の時間を疎かにしてしまっていたような気がする。
たまたま家族旅行で訪れた先で、しんとした空気の中で緑を眺めたり、大きな空の色が夕陽に照らされてどんどん移りゆくのをぼんやり見たりする時間を過ごしたときに、「あ、これ足りていなかったな」と感じた。
人生の中には様々なフェーズがあり、私はきっと今、人生の基盤を固めるために仕事に邁進する時期なのだと思う。
その一方で、365日邁進し続けていたら、ぱんぱんになった水風船のようになって、いつかちょっとした衝撃で破れてしまうこともあるかもしれない。
そのバランスをどうしたらうまく取れるかはまさに今実験中なのだが、今年の下半期は、仕事もひっくるめた自分の人生をまるごと味わえるようにしていきたいと思う。
私の16personalities(MBTIと呼ばれているやつ)は提唱者なのだが、提唱者は人生に目的を求め、その使命のために行動するそうだ。
これを書きながら、まさにそのために仕事をしているなと強く感じ、MBTIも侮れないなと再認識している(でもMBTIで人を判断しようとする人は苦手かも(小声))。
そんな仕事も大事にしながら、ちょっとずつその外側にも目を向けて、心地よいサイクルを作っていけたらな、と思う。
こんな感じでちょっとずつnote更新も復活してみようかな!まずは週1ペースを目指してやってみる。