OFFICE TOSHIKI NASU/何かによる弊害
商売の基本は相手が欲しいものを提供することにあるという。
そう思って数年やっていたがしっくりしませんでした。
というのも病気になる人をみてきて、その傾向を知ったことで我慢は身体に良くないことを知るのです。
「商売の基本は相手が欲しいものを提供する」というのは企業の働き方であって、小規模である鍼灸院は自分がやりたいことを前提としておこなうことが正しいと思います。
もちろん、医療類似行為として鍼と灸をもちいて患者の不安や不調を解消させますが、「駅から近い」「金額は安い」「施術が早い」という希望に添うとコンビニのようになってしまいます。
つまり、相手が求めるものに応えることが正しいでは誰でも良いということになります。
誰がやっても同じ、似たような謳い文句は世の中が平たくなっていく。
「〇〇治療をしてます」「美容鍼が売りです」「最新機器が揃っていますというのは、この業界をどんどん平たくするキッカケになると思うのです。
そして患者はその選択に困り、間違った解釈を生みます。
ある時、テレビに韓国アイドルが出ていたが、顔の違いが分かりませんでした。そして数名で構成される歌手をみると髪型、メイクなどで国籍がわかならないのです。
これが世界基準なのか、グローバル化というものなら聞こえは良いが、個性はどこへ行ったのでしょう。
相手が欲しいものを提供するは、飽きられたら必要が無くなる。
飛鳥時代から続く鍼灸も同じことがいえると思うのです。
当たり前のことをしっかりと丁寧におこなう事ができないから、奇をてらうのでしょうが、それではこれまで受け継がれてきたものが途絶えてしまいます。
今回、オリンピックを観ていてもおもうことは、世界基準でなくとも日本人に合った方法があるということ。
海を渡ったところにある国々の考えや価値観に合わさず、日本人には日本人にあったものがあると思います。
日本人の感性というものをもっと信じて良いのではないでしょうか?
私は日本人にあった日本の鍼灸をおこなっています。