OFFICE TOSHIKI NASU/身近な人が病気になり気づく
身近な人が病気になり、身体のあちこちに問題があると知りました。
自分は大丈夫だと周囲の声は聞かず、それまで酒や煙草を好み不摂生をしていた人が気を落としていることに驚いたのですが、きっと私も同様に何かが起これば悲しむのだと思います。
私は易経を学んでいますが、人や自然には動きがあることを知るのです。
つまり栄枯盛衰、栄える時もあれば衰える時もあるということが分かります。
私は今年40歳になりましたが、10代や20代のような鋭さはなく、30代のような無理が利く歳ではないと気づきました。
仮に先端医療により120歳まで生きたとして、今の感覚で生きることは勿論無理ですよね。
本来80で一生を終えることを考えれば折り返し地点なわけです。
ですからこれまでの生き方が今後を左右するということになります。
これまで歴史上の人物が不老不死を望んでも、その望みを叶えることはできたせんでした。必ず最期を迎えるのです。
一休宗純の「死にとうない」という言葉の意味もまた考えるところがあります。
夏の夕暮れ、蝉の鳴き声や蜻蛉が飛ぶ姿に夏の終わりを重ね、次の季節を意識します。
これは禅でいう自然であり、この時間を巻き戻すことはできません。
そして振り返り、気づくのです。
ある時、恩師が鍼灸は禅だと言っていましたが、その言葉の意味を20年経ったいま思い返しています。
鍼を物理療法としてその時々に受ければ、痛みや苦しみから一時的に逃れることができ、日常に取り入れれば今を大切に生きることができます。
インディアンの言葉に「あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。 だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。 そんな人生を送りなさい。」とありますが、私は自分も周りにの人にも笑って別れられる人生を歩みたいと思っています。
悔いのない時間を過ごすために。