「ゆげ(遊戯)」でゆらゆら考えた/備忘エッセイ #18
ボードゲーム・ファンだというのに、出版されていたのを知らず、本屋でたまたま見つけて購入、積読の日々……発行日からもうすぐ1年という遅ればせ感で読了したのがこちら。
メリトクラシー(能力主義)とデモクラシー(民主主義)についてだとか、社会の様々な事象のエッセンスを表現できるボードゲームだからこそ抽出できる濃密な概念と実社会との行き来にワクワクし、読み始めたら一気。なんで積読してたんだろ。
個人的には、前半で小野さんが提示する「ゆげ(遊戯)」の思想を知れただけでも価値がありました。
この「ゆげ(遊戯)」の視点で自分の人生を振り返ると、持続可能な社会をつくるという崇高な「目的」を設定し、役場職員、NPO法人設立・代表就任、町議会議員という「仕事」を通し、自己犠牲も厭わず貢献しようとしてきたところがあったなぁ……。
心のどこかではそんな気づきがあり、ボードゲームという「遊び」に惹かれ、ボードゲームを自作したり、販売したりするところまでのめり込んだのかもしれない。
ところが、ある対象に全集中で取り組み過ぎて、集中力の積算閾値のようなものを超えると、反動でその対象への興味が急激に薄れてしまう……
私の人生にはそういう傾向があり、ボードゲームも今はそんな感じ。もちろん今でも好きだけど。
ある意味「自然体で、当たり前のことのように軽く営む」ところに辿り着いたのかもしれない。
「ゆげ(遊戯)」という言葉に感化されて、そんなことをゆらゆらと。
見出し画像は、今年のうどん祭りにボードゲームのお店を出店した時、雨で横幕を張って営業していた外観。こんな状態でも買っていってくれる。
ただでさえ、うどん祭りという飲食メインのイベントでアウェーな上に、毎年のように風雨に祟られ、ボードゲームにとっては過酷な試練の場なんですが、もう何年も続けて出店していて
最初は子どもに「これいくら?」と聞かれて「1,320円だよ」って答えると「たかっ」て去っていったけど
今ではあれこれ悩んで「これください!」って自分の財布からお金出して買い、近くのテーブルで早速開封してその場で遊び出す、という光景が見られたり
「去年もここで買って面白くて、またここで買うのを楽しみにしてたんですよ」って言ってくれるお客さんもいて
継続は力なり
ボードゲームが文化になりつつある
を実感してます。ありがたい。