ADHDの子供は幼いの?私は娘の幼さを誇りに思う
なす好きの母が、明太子好きの娘のことを綴った記録。
今日もご覧いただきありがとうございます。
ADHDと”幼さ”という特性に、因果関係はあるのだろか?
これはふとした私の疑問だ。
私が思う幼さとADHDの関連性は、これまで見てきた情報の中には見当たらなかった。
こういう時は、ChatGPTに聞いてみるべし!
ADHD(注意欠如・多動症)の特性に直接「幼さ」や「幼稚さ」が含まれるわけではありませんが、そう見える行動や特徴が影響して、そのように感じられる場合があります。
これがChatGPTの見解だ。
感情的な反応や、衝動的な反応
想像力が豊かで遊び心のある部分や、好奇心旺盛な部分
これらの特性が、周囲からは子供っぽく感じるかもしれないとのこと。
たしかにChatGPTの言い分はよくわかる。
しかし、今回私が言いたい幼さとは、純粋さや素直さに直結する幼さのことだ。この部分については、参考資料が見当たらない。
どういうことかというと、現在小6の娘は、0歳の時サンタさんに貰ったくまのぬいぐるみをそれはそれは大切に扱っている。
低学年の子どもにはよくある光景だと思うが、12歳の今もだ。
ぬいぐるみには自分の着られなくなった服を着せ、夏と冬で衣装も変わる。
毎日一緒に寝て、自分が起きる時にはくまさんに布団をかけてから起きてくる。
自分が使った物の片付けや、習い事のバッグは忘れるのに、くまさんのお世話だけは冗談抜きで忘れたことがない。
つい先日、娘が発熱した時、娘の部屋に様子を見に行くと、くまさんはクローゼットの中に隔離されていた(笑)
「くまさんにはうつらないよ。こんな時だから一緒に居てもらえば?」
と言って顔の横に連れてくると、安心したように頬ずりをした。(萌)
娘が今年ADHDとわかり、悩みも心配も尽きはしない。
しかし、こういう純粋無垢な姿にはホッコリさせられる。
これはADHDの特性なのか、娘の性質なのかはわからない。
だけど、純粋でいてけがれがない。
我が娘ながら、底知れぬ優しさをもっている。
娘の優しさには私もずいぶん助けられてきたし、私のほうが傲慢になったことだってある。
自分から疑問を投げかけておきながら、こんなことを言うのもおかしな話だが・・・
別に、ADHDの特性だろうが何だろうが、何だっていい(笑)
これが本来の娘であり、娘の慈悲深さを心から誇りに思う。
ただ、娘がADHDとわかっていなければ、私はおそらく
「もういい加減手放したら?来年中学生よ!」
と、たしめていたに違いない。
そう考えると、とても恐ろしいのだ。
私の思想と理解によって、言葉は驚くほど逆転する。
親は子どもにどれほど大きな影響を与えているのか、、
自分の価値観で判断せず、本来の子どもを受け入れる大切さを娘とくまさんは教えてくれた。
追伸
こんなこともありました。
いけすのある和食料理屋さんにて、料理人がその場で魚を釣り上げるパフォーマンスをしてくた時・・・
娘以外の家族、また周囲のお客さんは「ぉお~!」と歓声を上げて喜んだ。
ただ、娘だけは「かわいそう」と言って、お刺身を食べることができなかった。
その時は「え?そこまで?」と思ったが、感じ方なんて本人にしかわからない。人の感覚は様々なのだ。
今日もくまさんはいい顔をして眠っている。