逍遥日記#19 混沌熱
散歩:12581歩。
日陰もないような畑の中を歩き回ってマルチを剥がす。
野菜の詰まった重たいコンテナを軽トラに運び入れる。
カラス除けのテグスを張るために杭をハンマーで打ち込む。
鍬で畑に溝を掘って土壌消毒の準備をする。
終わるころには文字通り頭からつま先まで泥だらけで、長靴をひっくり返すと砂と虫がさらさら出てくる。いつの間にか肩に芋虫がちょんと乗っていた。
午前中しか働いてないとはいえ、夏の農業はしんどい。
今朝は社長が暑さで蜂起した(たぶん)ハチに刺されて帰っていった。気の毒だけど笑ってしまった。
作業中、技能実習生のミャンマー人が死にそうな顔で「今、何時デスカ」と聞いてきた。彼もだいぶ参っているらしい。日陰で休むように伝えたら「ハイ」と答えてなぜか太陽の方に向かって歩いていった。
体内の水分がほとんど汗になるからあまりトイレに行かずに済む。トイレに行った同僚のおばあさんから尿がいつもより黄色いとセクハラかどうか微妙なラインの報告を受ける。すごく嬉しそうだ。たくさん水飲んでください、と返す。
少し遠い畑に向かう途中、運転していた先輩が「僕たちこれからどこに行けばいいんでしょうか」とややポエティックな言い回しで質問をしてきた。各畑に割り振られた番号を伝え、レギュレーターハンドルを回して窓を開け外の空気を入れた。
皆暑さでちょっとづつおかしくなっている。
でもそのおかしくなった感じが妙に楽しくて、人間やっぱりちょっと壊れてる部分が露出してるくらいが接しやすくていい。
普段は無意識を押さえつけている軛のようなものが熱で溶けてしまい、人間本来のまとまりのなさが流れ出ているように感じる。
しんどいことに変わりはないけれど、くたくたになっていると肉と息と意識への感覚が鋭くなってたいへんに面白い。
暑さと疲労がギリギリのところまで来ると耳鳴りと頭痛が起こる。
こめかみと心臓がすごい勢いで拍動して、うまく言えないけど血が流れていることや鼻と喉を空気が通っていることや内臓が蠕動していることがいつもよりはっきりわかるようになる。
明らかに熱中症寸前ではあるのだけれど、身体が安心安全な世界の膜の外側にある時は色んなものがフラットに見える。意識のある主体として自己を認識するのではなく、そこにある生き物としての自分がどうしようもなく客体化(あるいは透過して向こうのものがよくみえる)されていくあの感じ。忘我というか、登山中の滑落の一瞬や鬱のピークの時にも似たようなことがあった。
だからなんだ、と言われたらまあそれまでではある。
でもなんというか、あの色んなものがめちゃくちゃになっているはずの瞬間には、なぜか全部がおなじものに見える。