半農半ニートの一年
小動物の足跡が残るさらさらに乾いた地面を掘ると、そこには湿った土がある。晴れの日の土は乾湿のバランスが取れていて手触りがいい。草負けや雑菌の侵入の心配があるので農作業中は手袋をつけるように言われているのだけれど、あまり気にしていない。指先はボロボロで、爪の奥には手を洗ってもなかなか落ちない土汚れがこびりついている。一年前よりやや厚みを増した手を見ているとそれなりに時間が経過したことをはっきりと感じた。書店で働いていた頃もいつの間にか指紋が消えていたことを思い出す(一日中本を触っていたせいだ)。
こうやって生活は細やかに体に染み込んでいくものなのだろう。
なんとなくで始めた半農半ニート生活も一年が経った。
週に4日、4~6時間の野良仕事で月収は7~9万くらい。雨の日はだいたい休みで、夏場は死にかけることもあるけれど普段はのんびり適当に作業をしている。もともと短期のアルバイトだから立ち位置はお手伝いのようなもので、この「いなくても別にいいけど、いてくれるとちょっと助かる」みたいな距離感が個人的には合っている。なので本格的な野菜作りには関われていないものの、一年も見ていると何となく流れは掴めてきた。肥料や農薬のことは調べればなんとか理解できそうだ。実験できる農地があればいいのだけれど。
なんとなく始めたとは言っても、農業を選んだのには一応の理由がある。ひとつは人間ではなく自然が相手であること、もうひとつは食料という命に直接かかわるものを扱う仕事だったからだ。
根本的に、他者というのはどうにもならない。なんなら自己すらどうにもならない。家族だろうが親友だろうが、結局のところ我々は色や形の違う肉の箱に詰め込まれたそれぞれ精神的に異なる成り立ちの生き物であり、奥にある(とされる)感情や真意などは月の裏側に等しい。それでもそれらと関わらずに生きることはほぼ不可能であるらしい。「ひとはひとりでは生きていけない」という私の嫌いな言葉があるけれど、関わらずに過ごせた方が幸せなタイプの人間というのは確実に居るし、いつでも逃げられるようにしておきたい。それを理想に近い形で叶えられるのが農場でのアルバイトだった。自然もどうにもならないもののひとつではあるけれど、こちらはただ在るだけなので、人間を相手にするよりは害意がなくてずっとマシなように思う。
二つ目の理由についてはシンプルに自分で食べ物を育てる方法を知っておくべきだと思ったのと、世の中にある仕事のほとんどは誰かの欲望とその余剰を埋め合わせるための雑事に過ぎないと思ったからだ。
何かを期待して好きでもない場所で望まない消耗に時間を溶かせるほど人生は頑丈ではない。
そんな風にして一年農業をやってみて、今のところこれといった不満はない。職場には「関わらない方がいい」タイプの人はいないし、生活の糧も知識も少しずつ蓄えられている。
でもこれはたまたま運が良かっただけで、いつまでも続くものではないことを忘れてはいけない。とりあえず感謝だけ。
忘れてほしくないのだけれど、半ニートを名乗っているので基本的には働きたくない。
なので気分が乗らないと農繁期だろうが割とサボる。そのため年収は低空飛行で、いい感じに非課税世帯の枠に収まっている。家賃と光熱費、その他諸々の支払いで収入の半分くらいが無くなって、食費と雑費で約2万、あとの余りは旅の資金に回している(その旅も出稼ぎありきではある)。交際費が一切無いのは人間的魅力の無さ故なので仕方がない。最近はPS5、というか来年発売されるモンハンの新作が欲しいので旅の資金をそっちに削れないかと思案している。買ったら誰か一緒に遊んであげてください。
半農半ニートがこの日本にどれくらいいるのかは分からないけれど、私の生活はおおむね地味である。あまり働かないかわりにお金もないのでだいたいいつも散歩か読書か自転車でぶらぶらするか、サブスクで映画やアニメなんかを観て過ごしている。丸一日誰とも喋らない日はしょっちゅうあるし、朝から晩まで布団の上で死んだように寝そべっていることも珍しくない。寂しいと言えば寂しいのだけれど、それほど致命的なものでもなく、それは静慮のために必要な時間なのだと思う。
こうして半農半ニートの生活を書き出すことに一体どんな意味があるのか分からない。今の時代そう珍しい生き方でもないと思うし、あまり参考になるものではなかったかもしれない。世間にはもっと大変な状況で生きている人もいるからお前はまだ恵まれている、と言われたら何も言い返せない。たぶんこの記事も私のことを知っている人くらいにしか届かないと思うけれど、それでも何かの間違いで、全然関係のない人のところにこの記事が届いて、「あぁこんな生き方してるやつもいるんだな」と知ってくれたら、それはけっこう嬉しい。
一応、今後のことも書いておく。
来年の7月に賃貸契約が切れるので更新のタイミングかその前に別のところに引っ越そうかな、と考えている。なのでこれから来年にかけてぼちぼち移住先を絞ろうと思う。瀬戸内海が好きなので次はいよいよ四国か、広島岡山の海沿いなんかもいい。人が多いところは苦手なので、地方都市からそう遠くない海辺の街が望ましい。贅沢を言えば、空き家を借りて犬や猫と暮らしたい。
半農半ニートのスタイルは崩さずに、適度に未来にビビっておそるおそる生きていけたら、まぁ充分だろう。