見出し画像

日本列島改造論 ~次はどう改造するか?

私がシンガポールに一度目の赴任していた1990年代前半は、アジア(ASEAN) は高度成長をしている時でした。その中でもタイは凄い勢いでしたね。それを象徴するかのように、超弩級のデパートがどんどん建設され、バンコクの道の渋滞は大変なものでした。その時、タイも後10、20年すれば、先進国の仲間に入るのだろうとなんとなく思ったものです。

あれから30年経ちました。あそこから時間が止まったようです。そこそこ発展しましたが、まだ「そこそこ」です。政権が安定しないんですね、しょっちゅうデモやクーデターの繰り返しです。2011年のタイの大洪水のように、基本的な治水インフラなど整備しなければならないところはまだまだあります。政府は、そういう所を改善しないと、外資は逃げていくかもしれません。ただでさえ不安定な政権は外資にとって大きなマイナス評価です。クーデターやデモは、観光客を減らします。

このタイの現在の問題は、「中進国の陥る罠」といわれています。

要は、新興国は、農業国家から工業国家へと発展しようとし、まず都会に工業が集中する。そうすると、農業だけの地方と経済格差が大きくなり、農民が政府にたして不満を持つ、それにより、政権が不安定になり、更なる経済発展ができなくなるということです。そしてそれが、ずっと、タイで起こっていると。

日本の場合は、田中角栄元首相が、「日本列島改造論」で、地方に公共投資を行い、金をばらまき、地方も豊かにして、政府に不満を持たせないようにうまくやりました。

1972年発売の「日本列島改造論」は、親父も買って読んでいました。私も当時15歳で中三だったので読みましたね。

内容は、日本列島を高速道路・新幹線・本州四国連絡橋などの高速交通網で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密の問題と公害の問題を同時に解決する、などといった田中元首相の持論が、イタリアやアメリカの例を引いて展開されていました。

こういう政府の計画を一般に話していいのかと当時、疑問に思いましたが、とにかく景気のいい話でした。「公共投資」という言葉は、景気対策の打ちでの小槌のように言われていました。

60-70年の高度成長期は、地価も上がり、土地を売った農家は土地成金と言われるほどでしたし、農業保護の自民党に守られ、農家は貧農というイメージとはかけ離れ、豊かになりました。当時「ノーキョーさんの海外団体旅行」というのがマスコミで取り上げられるほど景気が良かったと思いますし、近所の農家は皆、立派な家に住んでいた記憶があります。

こうやって、都市と農村の貧富の格差もなく、自民党は特に農家の支持を得て、日本の近代化に専念できたわけですね。農協もそれに一役買いました。「世界で最も成功した共産主義国家」となったわけです。

先日、アマゾンでこの本が中古でプレミアムがついて600円の本が2100円で出品されていて、思わず購入しました。あの頃の力強さがひしひしと感じられます。

先進国では、「行き過ぎた資本主義」によって、あらたな経済格差を産み、社会が不安定になっています。アメリカがまさにそういう状況にあると思います。

日本は、多少格差は広がってきましたが、他の先進国と比べてはそれほど拡大してません。

しかし、経済は1970年代ほどの勢いはありませんよね。

「ダイバシティー」「DX」「英語化」「高齢化に対する戦略」「省エネ・環境」など、成長のキーワードは結構あると思います。そろそろ「失われた30年」から抜け出す時期ではないかと思います。

1,454





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?