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「プレイするesports」と「観るesports」、どっちに注力する?

最近は「プレイするesports」と「観るesports」について考えている。考えている最中のため、今回は話がまとまっていないのであしからず。

要点は、オーガナイザーは「プレイするesports」と「観るesports」のどちらにリソースをどれくらい割くべきかということだ。

※ところで、僕の頭の中ではいまesportsは一つの大きな世界観を指す言葉になっており、「ゲームを用いた競技」や「競技を包括するシーン」といった概念よりさらに拡大している。その世界観の中に「プレイするesports」と「観るesports」がある。ほかにもあろう。

「プレイする」と「観る」はまったく別物

当たり前の話、「プレイするesports」と「観るesports」は繋がってはいてもまったく別物なので、訴求するターゲットや制作するコンテンツなどあらゆる点で大きく異なる。

そもそも役割も機能も違っていて、ユーザーにもたらされる体験も全然違う。ゲームをプレイする人が求める/得られる体験と、大会を観戦する人が求める/得られる体験を想像してみればすぐに分かる。

興行としてのesportsという観点から見れば、「観るesports」は不可欠だ。観戦者の存在が利益に繋がるのだから。しかし、「プレイするesports」を楽しんでいる人からすれば、必ずしも「観るesports」は必要ない。

興行によって利益追求するオーガナイザーは、プレイヤーと観戦者を同時に満足させるという極めて難しい課題に直面する。どちらによりリソースを割くべきなのか? ここにジレンマがある。おそらく諸条件ごとに最適なリソース配分率があると思うが、その割合はまだ明らかになっていない。

興行を志向しない、例えばコミュニティベースのオーガナイザーは根本的に「プレイするesports」に振りきっているからリソース配分で悩むことはあまりないだろう。「観るesports」には余剰のリソースを割り当てればよく、プレイヤーのために全力を尽くせる。

一方で、興行を志向するオーガナイザー(特に企業)は両立を目指さなくてはならない。「プレイするesports」にリソースを割かなければ、そもそもプレイヤーが集まってくれない。だが、そこにリソースを割きすぎると「観るesports」が疎かになって観戦者に満足してもらえない。逆もしかり。

うまくいっているかどうかはさておき、現状ほとんどの興行志向オーガナイザーは立場的には両立を目指して奮闘している。とはいえ……。

観戦者よりプレイヤーのほうがはるかに多い

以下ではオーガナイザーを興行志向に限る。サードパーティのほか、ゲーム会社がオーガナイザーだとしても、役割(機能や収益面)はゲームの開発・販売とは分けて考える。

日本では、ほとんどすべてのesportsタイトルで観戦者よりもプレイヤーのほうが多いという現状がある。

それ自体が驚異的なことだと思うし、興行としてのesportsの成長余地と見ることはできるものの、特に日本ではまだまだプレイヤーに大会番組を観てもらえていないというもどかしい状況が続いていることは否めない。

いろんなオーガナイザーがあれやこれやと手を尽くして観戦者を増やそうとしていて、増加傾向の大会がありつつ(PJSなど)、あまり変動がない、または減少している大会もある(RAGEや「ぷよぷよカップ」など)。

【事例ピックアップ】
LJLは国内の『LoL』プレイヤー数に対して観戦者の割合が極めて高いが、数年前から観戦者は約3万人がピークとなっており(開幕戦か決勝戦)、2019 Spirng SplitのFINALもなんとか3万人に達したという状況だった。

しかし、レギュラーシーズンでは観戦者が昨年よりも数千人規模で増えているので、開幕戦や決勝戦しか観ない層をレギュラーシーズンに引き込むことに成功していると言える(8チーム制や会場の変更が大きかったと思われる)。

ただし、ピーク観戦者数を喰っているだけで、LJL自体の見込み観戦者数が増えているわけではないことには注目しておく必要がある。国際大会では約5万人が観戦していたので、まずは開幕戦と決勝戦の観戦者数をそこまで伸ばすことはできるだろうが、その先はどうなる? MSIでのDFM戦がこの数字を上回れるかどうか。

言い方は悪いが、プレイヤーの存在はゲーム会社の利益には繋がっても、いまのところオーガナイザーの直接的な利益には繋がらない。だから、どうしても観戦者数の増加が必要となる。

※プレイヤーだけで興行は成り立つだろうか? というより、プレイヤーだけのシーンを興行と呼んでもいいのだろうか?

オーガナイザーの収益源は3通り

改めて、オーガナイザーの収益源を考えてみよう。それには主に3通り、ゲーム会社からの分配金広告主からの収入観戦者からの課金がある(オーガナイザーがプロダクションを兼ねるような形での受託・受注の大会は、ここでは広告主からの収入に含む)。

ゲーム会社からの分配金は「プレイするesports」を戦場とし、観戦者からの課金(チケット代や有料放送料金など)は「観るesports」を戦場とする。

その中間として、スポンサー料や放映権料などを含む(広義の)広告主からの収入が存在する。広告主は「プレイするesports」と「観るesports」の双方に価値を見出せるため、両方が戦場となるという意味だ(大会参加者数が少なくても観戦者数が多ければ広告主にとって価値があり、あるいは大会参加者数が多ければ観戦者数が少なくても広告主にとっては価値がありうる)。

プレイするesportsへの舵取り

上記を意識すると、観戦者を増やすのが簡単ではないということが長大な壁となってそびえ立ってくる。そのための戦略と施策はどのオーガナイザーも苦心しているのだ(根本的な解決策は出場選手やチームのファンを増やすことだろう)。

けれども、オーガナイザーにとって必ずしも「観るesports」だけが戦場ではない。国内ではまだゲーム会社からの分配金などは未整備の状況ではあるが、(そこを整備しながら)「プレイするesports」を戦場とすることもできる。

となると、現状でオーガナイザーが取るべき戦略もうっすら見えてくる。「観るesports」よりもむしろ、「プレイするesports」により多くリソースを割くべきではないか? 言い方を変えると、オーガナイザーはゲーム会社としっかり手を握り合って(もちろん多義的)、ゲームのプレイヤー人口を増やし、プレイヤーの満足度をより向上させる方向にもっと舵を取るべきなのかもしれない。

海外大会の華やかさに目を奪われ、日本でも同じように映像や演出などリッチなコンテンツを制作しようという風潮がある。それはまあ悪いことではないし、クールな大会を目指したほうがいいのはたしかだが、いまそれに大きなリソースを割くのが本当に正解かは定かではない。そもそも観戦者がいなければリッチなコンテンツも役目を果たしきれないだろう(まず大会を知ってもらい興味を持ってもらう必要がある)。

当然、少数のプレイヤーで大勢の観戦者を抱えるという方向性もありうる。プロリーグがその最たるものだが、プロリーグを興行として活かしきるには観戦者がいなければならない。その観戦者は、いまのところ日本ではたいていプレイヤーのはずだ。

『ストV』がそういう構造になりつつある。しかし、国内大会やリーグ、海外大会(の日本語実況)の観戦者数が微減し続けているのは無視できない(少なくとも増えていない)。ここにはもしかしたら、『ストV』のプレイヤー数が国内で増えていないという課題があるのではとも考えられる。

ただし、国内に数百万のプレイヤーがいるモバイルゲームなら、「観るesports」にリソースを割くのは有効な選択肢だ。けれど、PCやコンソールのゲームは『スプラトゥーン』や『スマブラ』を例外とすれば多くて数十万。その中から観戦者が生まれてくると考えると……。

※僕がいつも主張するのは観戦者の増加だが、その観戦者はプレイヤーであると思っている。だから、観戦者増のためにプレイヤーを増やし満足度を高めるということになる。

※なぜ国内の話に限定するかというと、日本語からはなかなか逃れがたいからだ。国内大会を海外に輸出できるならそれもいい。

数十人しか観ない大会を生放送する意義

さて、「プレイするesports」を主軸に考えれば、わざわざなけなしのリソースを「観るesports」に割く必要はないと考えることもできる。しかしながら、大会やイベントを開催してその様子を生放送することはセットで考えられている節がある(オンラインでも)。

具体例は挙げないが、つい先日もオフラインで開催された大会(イベント?)が生放送されていた。視聴者はわずか数十人。大会自体にはそれなりに力が入っていて、会場は盛り上がっていたようだった。だとすると、この生放送にはどんな意義があったのか?

生放送をしなければならないという固定観念があったのかは知らないが、施策を増やせばその結果を求められる。数百数千人が会場に来たとしても、生放送は数十人でした、となれば大会の価値が落ちてしまう。

なぜ生放送、「観るesports」にもリソースを割かなければならないのか、そこをじっくり考えなければならない(オフライン大会でもオンライン大会でも)。そしてもし生放送するなら、ちゃんと認知を拡大していかないと意味がない。ただ撮影機材や配信ツールを回すだけなら本当にやめたほうがいい

特に地方での大会やイベントが活発になっているが、地方こそ「プレイするesports」に特化すべきだろう。生放送をやっている場合ではない。
本当にそう思う。esportsに関するオンラインのコンテンツが少なすぎる問題も重要だ。それを充実させたり、そもそもマーケットインで大会やコンテンツを制作したりすべきだが、それでも主催者側の「オフラインでやりたい」というモチベーション(エゴ)も重要だろう。

それと、オフライン特有だが、「会場の人たちに楽しんでもらえるコンテンツ」と「視聴者に楽しんでもらえるコンテンツ」は同じではないという問題がある。要するに、生放送するなり動画を作るなりする場合、会場を円滑に回しながら、それとはまったく別軸で観て楽しめるコンテンツを作る必要があるのだ。そこにリソースを割いて、両方で満足度を高める……可能だろうか?

プレイするesportsの価値を提示する

書きながらどこに結論させるかよく分からなくなっているが、いちおうは、必ずしも「プレイするesports」と「観るesports」を両立させる必要はなく、いまの日本の現状ならもっと「プレイするesports」に注力したほうがいいのではないか、というところに落ち着く。

リアリティショー論のような僕の主張はその先を見据えたものだ。「プレイするesports」と「観るesports」について考えているのは、やっぱりまだまだ「プレイするesports」が根づいてないのでは、と改めて思い始めたからである(数百数千人が予選に参加する大会もあるが)。プレイヤーの増加はゲーム会社の仕事だとも言ってきたけれど、オーガナイザーが果たせる役割もあるだろう。

プレイヤーに観戦者になってもらうのは次のフェーズだ。すでにそこに到達しているesportsタイトルはいくつもあるので期待したい。

というわけで、いま企業に投資してもらうなら「プレイするesports」の価値を提示していくほうがよさげだ。それについてはまた今度。

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