何年かバーチャルな東京に住んでいたときの話――そしてmeet-meの思い出
目覚めると、僕は原宿に向かう。毎日1回、タダでガチャをやらせてくれるからだ。3等が出た。まあ、1等でも6等でもそんなに嬉しい景品はもらえないから、これは儀式のようなものだった。近くにあるトレードボックスを眺めてめぼしいものがないか確認するが、今日はこれといったものがなかった。
あ、そうだ。今日は16日、鍵の日だ。毎月、6のつく日には無料で鍵がもらえる。なぜか? 6とLockをかけているらしい。それと日曜日だから区役所にも行かないと。週に1回、無料でアトラクションを遊べるチケットがもらえるからだ。大きな収入源のない僕にとって、鍵とチケットはとても重要だ。
そのあと、早々に電車で赤坂の城に向かう。広大な土地に盛大な城がどんと建っていて、僕たちはそこを拠点にしていた。家主はもちろん城主であったし、高い維持費を払ってくれる神さまのような存在だ。
城に着くと、秘密のパスワードを入力して中に入る。このパスワードは僕たちが仲間であることの証拠であり、他言無用、流出厳禁の代物だった。最初にここに案内されたときに教えてもらえるが、案内役がいないと教えてもらえない。だから、このパスワードを知っていること、つまり城に入れることは、なんとも名誉なことだった。
城に入ると、何人かがテレビを見ていたり、風呂に入ったりしている。一心不乱に誰かを叩いているやつもいる。「オイッス!」と声をかけてもあまり返事はない。みんな、何かに集中していた。言い方を変えると――城にマイキャラを放置しているのだった。
これはもちろんゲームの中の話。Co-Coreが運営していたmeet-meという、東京を仮想空間に再現したMMOだ。僕は2011年にこのゲームをプレイし始めて、2年くらいみっちり遊び、それからしばらく忘れて過ごし、数年に1回か2回くらいログインして、2017年9月に発表されたサービス終了のお知らせに驚き、2018年1月31日の最後の日に立ち会った。
いろんな思い出が詰まっているゲームの1つだ。変なやつ、楽しいやつ、仲よくなったやつ、いろんなやつらがいて、いろんなことをした(いや、ゲーム内で放置していた時間のほうが長いかも)。
meet-meのサービスが終了してから数か月、ようやくそれらを言葉にしようと思い至ったので、しばらくこの思い出話に付き合ってもらえると嬉しい。あるMMOの歴史的資料として、あるいは個人的なアルバムとして、あるいは青春の1ページとして、なるべく多くのことを言葉に残しておきたい。
さて、何から話そうか。
VIPでmeet-meスレ
僕がmeet-meに初めてログインしたのは2011年2月だった。当時ネットで(よくも悪くも)隆盛を誇っていた2ちゃんねるのニュー速VIP板の住人(いわゆるVIPPER)だった僕は、「VIPでmeet-me」というスレを見つけた。その1レス目にこう書いてあった。
東京が舞台のセカンドライフでどうぶつの森なネトゲ
釣りとか虫捕りとか農業で生計をたてつつ、カジノとか競馬で破産するのが目的
ゲーム内のテレビで配信とかようつべ鑑賞もできるし
アクションRPGとか射的っぽいミニゲームもある
いまもそうかもしれないが、あの頃のVIPにはVIPPER同士でさまざまなゲームを遊ぶためのスレがたくさん立っていた。みんなで遊べばそれだけ面白いという理由だろう。僕はたまたまMMOをやりたくて、たまたまこのスレを見つけて、なんとなくインストールした。
スレで「新規だから迎えに来て」とか何とかいうと、古参の連中がどこからともなく(ゲーム内のスタート地点である)市場前にやってきて、城なる場所に誘導してくれるらしかった。ただ、僕は3か月ほど1人で遊んでいた。それだけでも楽しかったのと、どうにもVIPPERたちが怖かった。
でも、僕はいよいよスレに書き込んだ。そうしたら、すぐに古参どもが迎えに来てくれた。そして赤坂の城に連れていかれた。VIPPER数人が迎えに来てくれた。誰だったかは正確には覚えていない。
VIPPERたちにとって新規がやってくるのは大事なお祭りだった。実際、僕も自分のあとの新規がスレにやってくると、嬉々として迎えに行った。人が増えるのは嬉しかったし、できるだけ多くの人をMM-VIPPERとして確保しておきたかったのだ。不定期に新規が大量にやってくる時期が訪れたが、定着率はそんなに高くなかったと思う。
初めての城
城に入った僕は恐縮していた。知らない人がいっぱいたむろしていた。よく分からない会話をしていた。土井さんたちがしきりに「IP」と言っていて、何のことかと訊いてみた。どうやら一般ピーポーの略で、VIPPER以外のプレイヤーをそう読んでいたらしい。
僕がさっそく「IPじゃない」みたいなことを言ったら、土井さんが「さっそく使いこなしてる新規かわいい」と言ってくれたのをよく覚えている。
初めての城には土井さんのほかにハルや流風、ガルツ、ネカマちゃん、パーヴィちゃん、まるこ、ハゲ、射名丸、ひふみっちゃんといった古参連中がいたと思う(ハルは僕のすぐ前にやってきたらしい)。そのうちのほとんどが、2018年1月31日の最後の日を一緒に迎える連中だ。僕より古参のほとんどが残ってプレイし続けていたのだから、meet-meというゲームの魔性はとんでもなかったのだろう。みんなのことはあとで話そう。
そのあと僕も城を拠点とするようになるが、城に来てやることは別にない。マイキャラを放置して別のゲームをやったり、小説を書いたり、本を読んだりした。誰かがいるときは一緒にゲーム内コンテンツを遊んだり、あるいはお絵かきや麻雀、別のゲームなど、meet-me以外で遊んだりすることもあった。
meet-meは放置ゲーやチャットゲーとさえ揶揄されることもあった。コンテンツは多いが、どうも長く遊べるものではないのだ。もちろん熱心にプレイしているやつもいたが、放置している連中のほうが多かった(なのに異常にゲームに詳しく、金持ちなのが不思議だった)。
でも、みんなのマイキャラが城にいること自体に価値があったのだ。放置状態であっても誰かがそこにいる、そのことが僕たちを城に呼びつけていた。ちなみに城は初代が赤羽、2代目が雑司が谷、3代目が赤坂、末代がまた雑司が谷にあった。
最高の釣りゲー
meet-meの中には敵を倒してアイテムをもらう砦(ダンジョンはいっぱいある)や、恐竜から逃げながらゴールを目指す恐竜パーク、競馬、カジノなどが常設されていて、のちに虫取りパークやカードバトルが追加された(サッカーはクソゲー)。ときどき運営主催のイベントも開催された。
僕がこのゲームで最初にはまったのは釣りだった。各地の海や川に数百種類の魚(正確には水棲動物)が生息していて、それらをコレクションしたり、大きさを競ったりするmeet-meのメインコンテンツだ。釣りランキングで1位を取ると貴重な課金通貨のMMPがもらえたので、一時期は寝る間も惜しんでオランダシシガシラを釣った。釣れる大きさはランダムだから、とにかく数を釣るのがランキング入りの必須条件だった。
また、1日1回、芝浦ふ頭から北洋か南洋にクルーザーで出かけることもできた。1度に10人ほどが乗れるので、日付が変わった直後にVIPPERたちと一緒に釣りに行くのが楽しかった。ときどき乗り遅れて1人でクルーザーに乗ってしまうこともあった。そのときの寂しさと言ったらない。
北洋のシロナガスクジラを釣れると、とてつもない称賛を受けることができた。こいつはそれほどまでに釣るのが難しく、僕も1回釣れたかどうかだ。ゲーム内通貨のココアを稼ぎたいときは南洋でホウボウを釣りまくるのがお勧めだった。
釣りに関して一番覚えているのは、僕にとって初めて(?)新種の魚が追加されたときのことだ。のちのちものすごい数の魚が追加されていくのだが、このアップデートではオーストラリアハイギョが追加された。生息地は告知されず、プレイヤーが色んな場所を探し回らなければならない。2ちゃんねる、あるいはmeet-meのSNSで情報がささやかれ、僕は毎夜いろんな場所に出かけていった。
どの情報が正しいのか分からず、しかしトレードボックスにはたしかに法外な値段のオーストラリアハイギョが並んでいる。羨ましかった。そのうち誰かが正確な生息地をみんなに知らしめた。二子玉川だという。僕もさっそく釣りに出かけ、見事この珍しいハイギョを釣り上げたのだった。ちなみに、オーストラリアハイギョは上野動物園で飼育されており、東京旅行の最中に見に行って感動を覚えたものだ。
城で映画鑑賞
meet-meは不思議なゲームで、動画チューナーという特別なアイテムとゲーム内のテレビを用意することで、そのテレビによそのサイトの動画を流すことができた。それだけでなく、自前のサーバーを通せば映像配信ツールを使って自分のデスクトップ画面を放送できた。いわばTwitchみたいな機能をゲーム内に有していたのだ。
そのサーバーは城主の流風が常に稼働させてくれていたので、誰でもいつでも自由に配信できた。
もちろん、自分のPCで再生している映画を城のテレビに流すこともできた。一時期これにはまり、僕はGEOで借りてきた映画を毎週のように配信した(当時はまだダウンロードやストリーミングが一般的ではなかったと思う。僕が疎かっただけかもしれないが)。今日は誰々がこの作品を配信する、という情報が城の黒板にお知らせされ、僕たちはテレビの前の座布団に腰を下ろして鑑賞した。
これが合法だったのか違法だったのか分からないが、ともかく、みんなで観る映画は最高に楽しかった。たしかいなばとhuntが特に映画好きで、いろんな作品を配信してくれた覚えがある。僕もみんなに楽しんでもらおうと、面白そうな映画を配信した。
そうそう、誰かがAVを配信したこともあった。さすがに流風が怒ってサーバーから切断したが、ときどき誰かがAVを流す事件が起き、そのたびに城には笑いがあふれた。のちの語り草だ。
マイキャラと紙袋
meet-meはMMOなので、当然自分のアバター(マイキャラ)が存在する。顔や体型、服装はいつでも自由に変更できたが、みんなそれぞれ特徴的な容姿で固定していて、一目で誰かが分かるのが面白かった。
例えば、パーヴィちゃんはいつも鼻メガネをつけていて、木の棒を持っていた。もしもしは白馬のぬいぐるみを欠かさなかったし、ハルは猫目。流風はおかっぱに白目で超レアアイテムの翼をつけていた。ハゲは緑色だった。かみゃはいつからかナスを背負うようになった。ネカマちゃんはメイド服でいつも眉をしかめていて、galtuは砦装備(鎧や剣)をつけていることが多かった。
僕は、あるとき見つけた紙袋をかぶるようになった。それと白衣。そう、『GUILTY GEAR』のファウストを真似たのだ。全身を最大限に細く長くすることで、ファウストらしさが出せた。おかげで、なぞべーむ=紙袋と認識されるようになった。
そういえば、僕がなぞべーむと初めて名乗ったのはmeet-meが最初だった。それまでネットではいろいろ名乗ってきたが、その当時読んだ『鼻行類』が大好きになり、なぞべーむと名乗ったのだ。その後はSNSでもこれを使い続けている。けっこう愛着がある名前だ。meet-meでは短縮されて「なべ」と呼ばれた。
城に集ったみんなのこと
そろそろ、城を拠点としていたみんなのことを話そうと思う(最後の日にいた連中を中心に)。できるだけ多くの人を紹介したいが、あんまり絡みがなかった人はほぼ名前だけになる。情報は記憶頼りなので必ずしも正確ではないのと、僕のmeet-meフレンドで抜けている人がいたら申し訳ない。なにせ熱心にプレイしていたのが2013年くらいまでで、それ以降は断片的にログインしていただけなのだ。
ハル@硝酸もち(ハル)
最初にハルを紹介する。こいつは当時親の脛をかじってパチスロをしているだけのクソ野郎で、もちろん無職だった。餃子の国の住人で、横浜ベイスターズのファン。阪神タイガースファンの僕はよく横浜ネタでいじった気がする。ハルとはほとんど同期と言ってもよく、話すことも多かった。いまでもTwitterでは交流がある。
meet-me内では最も非活動的で、いつも城に来た瞬間に放置していた。何のためにログインしていたのか。これは僕にも言えが、ハルはより一層非活動的で、たぶんゲーム内コンテンツをまともに遊んだこともないと思う。でも、こんなハルみたいなやつでもmeet-meにはログインしてくるのだから、ゲームあるいは城に何らかの魅力をみんな感じていたのだろう。
去年か一昨年か、Twitterにすら現れなくなって「とうとう死んだか」と思ったが、復活した。なんと職に就いて。最後の日にハルには言ったと思うが、無職クソ野郎筆頭のこいつがまともに働くようになったことはけっこう嬉しかった。
かみゃぼこ(かみゃ)
かみゃとゲーム内で遊んだ記憶はあんまりないが(いや、たぶん遊んだと思うが)、城ではけっこう話したと思う。なにより、meet-meを通してリアルでも会ったことのある数少ないフレンドの1人。アバターは小さくてかわいらしいが、リアルのかみゃはでかくて髭面だった(もう5、6年前のことだが)。そして富山に住んでいる。
meet-meが終了したあともTwitterで繋がっているが、申し訳ないことに本当にゲーム内での記憶がない。ナスを背負い始めたのは僕が隠居してからだが、一時期鳴りを潜めたあとmeet-meに復帰し、かなり熱心にプレイしていたらしい。新規勢に慕われているようだった。
もしもし
もしもしは本当に口の悪いクソ野郎で、でも僕が毎日ログインしていた時期に最も一緒に遊んだフレンドだ。当時はたしか大学生だったと思う。釣りをしたり恐竜パークに行ったり、ほかにもいろいろ遊んだが、城でのチャットを一番覚えている。
2人で大笑いしたのが、野性爆弾のくーちゃんが葬式ケーキを作る動画。「ゆっくりしいや」と題され、棺桶と人型のケーキが用意された。で、食べるときには人型ケーキの首を切断して渡すという荒業。チャットログが「w」で埋め尽くされた。
もう1つ死ぬほど笑ったネタがあるが、これはお蔵入りにしていこう。
流風(るか)
城主にして天使である。毎月何千円もする土地と城の配信サーバーを8年?くらい維持し続けたメンヘラ。BOTを駆使してRMTに奔走し、毎月十数万円を稼いでいたという。しかも運営側はそれを黙認、理由は「面白そうだったから」とのこと(最後の日にココアの社長・森山とのチャットで判明)。
当初は大学浪人で予備校に通っていた気がする。静岡在住で、その後東京の大学に合格し、新幹線通学をしていた。大学(予備校?)では人間関係において超絶メンヘラパワーを発揮していた。いまは大阪で仕事をしているらしい。Twitterでは飯画像を一生ツイートしている。
流風がいなければ城もなく、VIPPERたちは早々にmeet-meを卒業していただろう。最後の日まで城を維持してくれたことには感謝しかない。めっきりログインしなくなった僕でさえも、ログインすれば城という帰る場所があると思え続けたことの安心感は本当に大きかった。改めて、ありがとうと言いたい。
galtu(ガルツ)
ガルツは僕が城に初めて行った当時から古参中の古参で、近寄りがたい存在だった。森山はガルツのことを壊し屋と称しており、実際ゲームの穴やバグを見つけるのが得意だった。僕の印象としては、砦と言えばガルツであった。
絶対に言っておきたいことは、格ゲー勢が読んでいるかは分からないが、ガルツが国内最高峰の『スト5』の大会、TOPANGAリーグに招待されたことだ。意味不明のように聞こえるが、本当だ。あのウメハラと、あのときどと戦ったのだ。
かつて『スト4』を熱心にプレイしていることは知っていて、「大会に出ないのか」と訊いたら「興味がない」と答えていた。しかし、『ウル4』あたりからからちょくちょく大会に出始め、『スト5』でのLP(オンラインでの強さを示すポイント)の高さも注目され、ついにTOPANGAリーグに出場。そのとき僕はもうesportsにかぶれていたから、マジでビビった。
ちなみに、ガルツから何回かmeet-meネタで書けと言われていたのも、今回の記事を書いた理由の1つだ。
Baldy Hollow(ハゲ)
こいつを語るのがとても難しい。キチガイのような言動を繰り返す問題児でみんなからウザがられており、でも憎みきれないやつだった。僕もウザいと思っていたが嫌いではなかった(本気で嫌っている人もいたと思うが)。なぜハゲと呼ばれていたのかは知らないが、みんながそう呼んでいるのでみんなそう呼ぶようになった。meet-me以外のゲームでも問題を起こしまくっていて、いろんなゲームで煙たがれていたようだ。
ケルト音楽が好きで作曲を勉強していたらしい。高校は卒業したか中退したか忘れたが、あのとき18歳だったのはたしかだ。最後の日には24歳か25歳になっていたと思うが、相変わらず無職だった。ただ、聞いたところによると普通の家庭環境ではなかったようである。心の支えになっていたmeet-meがなくなり、どうしていることやら。
いなば
いなばは金髪ツインテールのマスコット的存在で、リアルの姿は音楽クリエイター。僕も物書きの端くれだったので、創作の話をしたこともある。とてもVIPPERとは思えない優しい言動が特徴で、荒んだチャットに現れる癒やしであった。
ゲーム内コンテンツを遊んでいる姿はほとんど見たことない。遠洋の釣りくらいだろうか。いなばもたぶん、城という空間の居心地がよかったのだろう。
hunt
huntは僕からすると新規で、映画仲間だった。いなばと同じくゲーム内コンテンツで遊んでいる姿は見たことがない。なんでmeet-meをプレイしているのか、なんでログインしてくるのかが謎であった。いやまあ、配信のためというのもあったと思う。
そうは言いつつ、最後の日に至るまで普通にログインしていたようで、僕よりよほどmeet-meに貢献していただろう。Twitterでもときどき絡んでいるが、数少ない常識人だ。
urea10(尿)
尿は、たまたま手元にあったハンドクリームか何かに表示されていたurea(尿素)を名前にしたことで、悲しいことに尿と呼ばれ続けることになった。ときどきログインしてくるだけでゲーム内コンテンツはほとんどやっていなかっただろう。
ただ、ときどきログインはしてくるので、意外とみんなに覚えられていた。しかも、僕以上にログインしなくなったのに、最後の日にはちゃんと城にやってきた。Twitterでの出現頻度もめちゃくちゃ少ないが、僕はけっこう相手をしたほうだと思う。
ネカマちゃん
ネカマちゃんとはあんまり喋ったことがないし、絡んだことも少ない。ただ、1つエピソードがある。流風のサーバーが使えなかったとき、ネカマちゃんがサーバーを立ててくれたのだ。そのとき、僕はなんとなく画質の限界を目指して超高ビットレートを設定した。
そうしたらネカマちゃんが「サーバーPCが変な音を立ててる」と怒り始めた。ガチギレしていた。もちろん、僕の無茶な設定のせいだ。あのときは本当に申し訳なかった!
丸子ポーロ(まるこ)
まるこのことはよく分からない。よく分からないけれど、それなりに喋った気がする。レアアイテムを持っていたところを見ると、それなりにmeet-meをプレイしていたらしい。
パーヴィちゃん
鼻メガネのパーヴィちゃんと言えば、VIPPERの中で最もミステリアスな存在だった。本当に謎で、素性も全然分からない。でも、アトラクションチケットをくれるなど面倒見がいいやつだった。
そのほかのみんな
書ききれない、取り立てて印象がない、個人的なエピソードがないという理由でほかの人は覚えている限りで下記に列挙しておく。みんながいたからこそmeet-meは楽しかった(雑司が谷組はほとんど覚えてなくてごめんね、おれがログインしてなかったからね)。
土井さん、ひふみっちゃん、わわわ、射命丸、ななし、じゃいこ、サイコロ、きんふで、AVA、たかし、すてこ、けみ、でるふぃん、もお、せいうんこ、etc.
meet-me最後の日
VIPPERではないのにここまで読んできた人には、僕がフレンドに対してけっこう雑な言い方をしているのが不思議かもしれない。しかし、VIPPER同士には特に遠慮というものがなく、敬語なんてありえないし、城にやってきた瞬間からフラットに仲間になれたのだ。そういう雰囲気も、みんな好きだったのだろう。
ただ、僕がログインしている頃から過疎っていたmeet-meにも終わりがやってきた。2017年9月20日にサービス終了の告知がなされた。僕は思わず数年ぶり?に城へ行った。ほかの、久しぶりにログインしてきた連中も一緒になってサービス終了について話した。このときはまだ現実とは思えず、誰もが「むしろ遅い」「さもありなん」という感じだったのが印象に残っている。
そしていよいよ、2018年1月31日を迎えた。僕は19時頃からログインし、ガチャを回し、城に向かった。道中はいつもながら過疎っており、よくもまあ赤字続きで運営を続けたなと感心したくらいだ。
城には何人かがたむろしていた。放置組ももちろんいた。そのあと夜が更けるにつれ、人が集まってきた。口々に、終了を嘆いた。誰もがクソゲー過疎ゲーと言っていたが、それでもあまりに名残惜しかった。
僕たちは卒業式イベントに出向いた。場所は品川シーサイド。何度もコジラに襲われ、クイズ大会などが開催された、運営お気に入りのイベント場所だ。会場には1000人以上のマイキャラが集まり、僕の回線では全然表示されないほどだった。
イベントでは森山によるポエムが披露された。と、基本的に運営に対しては馬鹿にするのが通例なのだが、このときの森山のあいさつは染み入るものがあった。ずっと赤字だったが、自分の裁量でなんとか続けてきたこと。とうとうそれが難しくなったこと。そろそろあいさつも終わりというときに、僕は回線落ちした。ムカつきながらやっと会場に戻ったら、イベントは終了していた。やっぱりクソゲーだわ。
そのあとの数時間は各々が最後のひとときを過ごすこととなった。城でチャットをするやつもいたし、他勢力の連中にあいさつをしにいくやつもいた。何とも言えない時間だった。
そのうち、サービス終了の時間が近づき、最後の別れを叫んでいたら、運営のお知らせが画面に流れた。「皆さんの思いを受け止め、1時間半だけ終了を延長する」とかなんとか。ありがたいはからいだった。
誰かが集合写真を撮ろうと言った。みんなが賛成し、城の中で撮影場所を探した。早々にログアウトしたやつ、まだログインしていないやつもいたので、いろんな方法でできるだけ連絡した。それで、写真を撮った。何枚も撮った。
ずっとプレイしてきたやつも、いつの間にかいなくなったやつも、最後の日だけログインしてきたやつもいる。それぞれにmeet-meの思い出があるだろう。いいところも悪いところもあったが、何年もプレイしてきた、何人もフレンドができたゲームが終了してしまうのは、やはり寂しい。
写真を撮りながら、みんなの言葉がログを埋めていった。めったに感情を出さないガルツが「終わってほしくない!」と叫んだことが忘れられない。
それでも終わりの時が来た。23時30分。
「……あれ、ログアウトしないぞ?」
みんなに一瞬の期待が広がった。もしかして……? そして次の瞬間、画面は暗転した。ログインを試みても、できなかった。
その後
meet-meが終了し、行方知れずになったやつもいる。Second Lifeに移住したやつもいるし、Twitterにいるやつもいる。僕はSecond Lifeの城の住所をもらったが、まだインストールはしていない。
僕自身は2014年くらいからmeet-meにほとんどログインしていなかったし、ガルツほどの喪失感はないが、それでも自分が熱中したゲームが終了した直後は、少し泣いた。二度とこんなゲームには出会えないだろう。
VIPPERのみんな、ありがとう。あの日々は本当に楽しかった。
※2018年5月30日:画像内チャット欄の名前にモザイク。
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