【微注意】フレイバリー【俺様キャラ】【創作】

ここいらで恒例の(別に恒例ではない)反省会を開こうか。

人生に反省は必要だ?

「なんでハテナついた?」

爆弾発言も用意してある。「人生ってこんなもんなのか?」と思ってる人のための記事、否、小説になりそう。

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noteでポチポチ宣伝する事の意義を疑いながら、結局それを続けていた。一種の合理的な活動としてだ。

しかし、その欠点に気付き始めた。それは、幅広い層の人に働きかけすぎてしまっている事だ。一般層なるものに。

言ってみれば、キューブリックの映画を駅で宣伝しているような物である。(方向性として)。

これは頭が悪いなあ。

どんな弊害があるかというと、俺は優しいもんだから、いや、それとも臆病なだけか、読み手に向けて書いてしまう。読み手の嗜好に合わせてしまう。読み手の評価を恐れてしまう。

TPOという点では、それは作文としても人としても当然の行いかもしれない。

しかし一方で、迎合しないで自分の好みを掘り下げたいという気持ちも当然(?)ある。

noteを始めた初期の頃は、迎合しない事に頑なにこだわっていた。

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俺はいま方向性を見失っている。だからといって困っているかというと、そんな事もないかもしれない。作風を迷うってなんかワクワクしない? しないか。結局なにも書かなくなる事になるかもしれないわけでもあるし。

俺はアルチュール・ランボーただ一人に憧れて、作文をしている。それ以外の作家の文章は、どれも俺にとってはガラクタだ。(例外は少しあるけど)

本を読む人の気持ちが分からない。

なんか面白い事でも書いてあった?

信じられないな。

本を読んで後悔しないことがあるなんて。よっぽどおめでたい頭してるんじゃないか? 誰かを尊敬でもしたいのか?

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俺はnoteを始めた当初、フォロワー数の多い人とそうでない人の違いがよく見抜けなかった。

作文の実力がどの程度関係しているか、あまり気付いていなかった。

また、作文の方向性の違いに関しても、よく分かっていなかった。いや、これに関しては、今でもよく分かっていない。ただ、当初よりは分かったかもしれない。

フォロワー数の多い人とそうでない人の違い?

なんの違いもないよ。知名度を抜きにして、実力面が及ぼす違いだけを抽象して考えるなら、「そういう文章を書きにいっている」かどうかだ。そして、これには向き不向きがある。

エッセイを書いて我が物顏でいられるなら、それは向いているという事だ。

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noteで記事を(良くも悪くも)適当に投稿したり、フォロワーを増やす工夫をしたり、という事は、これ以上やっても同じだろう。

自分が何をしたいのか、これまで深く考えていない。気軽にやっていた。とりあえずそれでいいと思っていた。軽い腕試しのつもりだった。

では、今からどうするか? ンー。

ランボーのような詩が書けるようになりたい?

文筆で有名になりたい?

んー、どっちも違うような気がする。

直感的には、内容のある物が書ければそれでよい。

別に有名にならなくても。有名になる事は、それはそれで、また別な努力が絡んでくる。実力が全てではないかもしれないし、下手したら実力とは別の事の方が重要かも知れない。そもそも、実力なんて概念が、お花畑な綺麗事なのかもしれない。実力があるってどんな文章?

諸説あるだろう。そして、俺はそれに興味がない。まさか文豪とやらの文章を持ち出されても困るし。別に持ち出してもいいけど。あなたがそれを説明できるのであれば。

俺はどんな文豪の文章もガラクタに思えた。ランボーだけが正しかった。俺が思うところの実力のある文章を俺が書ければ、俺にとってはそれでいいのかもしれない。かも、だが。

そのために今後作文を模索していくかもしれない。

そうすると、noteとかスキとかフォロワー数とか、どんどん関係がなくなっていく。

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しかしそもそも俺は作文をそんなに志していたわけではない。

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(俺にとって)作文って行為がなんか頭悪いんだよね。

文章を人に見てもらってどうしたいんだ? 俺は。そもそも一般向けの文章とは無縁なのに。

なんか本投稿、ダラダラ続いてるな。単刀直入に行こう。

俺は、ランボーのような物が仮に書けたとして、それを人に見せて称賛されたいと思っているところがあった。これだ。これが俺のおかしなところだった。水に石を浮かべようとしていた。

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そもそも俺は作家になりたいわけではない。そんな訓練、面倒で、これまでしようと思った事もない。

ただ、少し腕に覚えがあった。書いてみよう。

批判するだけの文章しか書けない。

何か積極的な内容を工夫して書いてみようか。

うーん。これでいいのか分からない。そもそも目指したいかも不明。(今ココ)

自分が何をしたいのか、はっきり決めていない。

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はっきり問題提起しよう。

書きに行くか? だ。

ひとりよがりでない文章を、自分の好みに多少反してでも(?)書きに行くべきか? という問題。

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自分の好みに冷酷になる事。

それを俺の言葉では「自己サイコパス」と言う。

自己サイコパスは頭が柔らかい。

心理的な弊害があるかどうかは分からない。

しかしそこまでするほどの事か? 作文が。

もしくは逆に、作文だから(固執せずに)文体を乗り換えられるという考え方もある。(あるの?)

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一旦おわり。ありがとう。


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