雑談: ムーミンやぼのぼのについて
突然だけど、スナフキンに憧れ始めた。
スナフキンって、ムーミンの視点から見た「よくわからない大人」像のようなところがあるじゃん。何を考えてるのかよくわからなくて、落ち着きがあって、激しく怒ったり悲しんだりしない。淡々としていて、しかしそっけないわけでもボーッとしてるわけでもなく、なにかをきっと考えていてーー次に出る旅のこととかーー、自分の世界を持っていて、それはひょっとしたら情熱かもしれない。
スナフキンがどんなものに関心があるのか、ムーミンはよく尋ねてみたりする。知らない外国のこととか、見たことない風景のこととか、難しい大人の話とか。スナフキンが淡々と語るとき、その内容が驚くべき大事件だったとしても、その語り口調には変わらずに落ち着きや穏やかさがあって、そんな風に冷静でいられることをムーミンは不思議がっている。
(ちなみに、僕はムーミンについて詳しいわけではありません。これは僕がイメージだけで適当に書いていますw)
ムーミンはスナフキンの話をよく聞くけど、スナフキンがなにを面白がり、なにを悲しみ、残念がり、なにに興味があるのか、結局わかったようなわからないようなでいる。半分くらいはわかったし、半分くらいはわからない。だからなのか、ムーミンはスナフキンの話をもっと聞いてみたいと思った。話の内容だけでなく、スナフキンがどんなことにどんな反応をするのか、そのひとつひとつが不思議で新鮮なものに感じているからだ。
ムーミン谷には個性あふれるキャラがたくさんいる。
ミィw
草が生えてしまった(草=w)。ミィは、体は小さいけど誰よりも力強いキャラをしてる。スナフキンが世界を旅しても、ミィのような人物には出会ったことがないんじゃないかってくらい。
(いま調べたら、ミイはスナフキンの姉なのか...? しょーもない設定だな。他人でいいじゃん。そっちのが味わいがある。)
ミイはなんであんなにふてぶてしくて、気が強くて、よくわからない人物なんだろう。現実の人間が、あんな風に振る舞い生きることができるだろうか? ミイの生き方から学んでしまおうか。
スニフ。奴は単純。おおはしゃぎで喜んだり、ミイがケーキを食べてしまったことにいつまでも悪口を言っていたり。楽しい友達キャラ。とても親しみやすくて、なにを考えてるのか丸わかり。一番よく一緒に遊ぶ。
ムーミン谷にはまともな人がいない。そこは『ぼのぼの』と共通してる。『ぼのぼの』の方がよりひねくれた内容だと思う。
スナフキン的な立ち位置にいるのはスナドリネコさんかな? と思ったけど微妙に違うかも。
シマリスくんって変だよね。でもぼのぼのも変だから、調和がとれてる。まともな人がいない、「中心のない世界」。しかしこの二人、話が合うようでいて、お互いの変人っぷりに汗をよく噴出(*漫画、アニメ参照)してる。互いのことを内心で「変わってるな〜」と思ってるかもしれない。きっと思ってるに違いない。
「シマリスくんって変わってるなあ」
「ぼのぼのちゃんって変わってるわね〜」
みたいな。
シマリスくん「でもアライグマちゃんが一番変わってるわよね」
ぼのぼの「うんうん」
アライグマくん「(イラッ)」(目が黒い)←w
***
ノートの世界も個性的な人がたくさんいて、「なんだろうこの世界?」と思う。(←どんな感想だ)
文章を書くと、対面では話さないような深いところまで表現されたりするからなのかもしれない。
個性のない人なんているだろうか?
個性が乏しく見える人は、きっと表に表していないだけに違いない。
***
スナフキンが旅の話をムーミンたちに聞かせるとき、淡々とした口調の中に表情の豊かさがあることにみんな気づいているし、なにより彼の無愛想な目がイキイキしている。
たぶん、スナフキン本人からすれば、自分を大冒険家とか思い、自分が不思議キャラであることに気づいていない。スナフキンのキャラクターは、ムーミンが主人公であるからこそ、主人公の視点から描かれているからこそ、不思議なものになっている。
なんでスナフキンは活き活きしてるんだろうか?
ムーミンなどはきっと「世界には僕らの知らないことがたくさんあるんだ」と思っていることだろう。子供ならそう思う。
しかし、大人は世界に対してそのようなイメージをもはや持つだろうか? (日本語ちょっとおかしいかな)
なんであんな風にいられるんだろう。
追記: 悲しいとき、ぼのぼのを思い出したらなぜか涙が出てくる。こんなアホみたいな世界もあるんだなと。あっていいんだなと。ぼのぼののこと、ずっと忘れてた。
ぼのぼのに登場したい。(すごい願望)。ぼのぼのに俺が登場したら、滑稽な変人として描いてくれるだろうか。誰かと一緒に自分を笑いたい。
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