「Y・イー」
プリエスタン。“貧モナ”の都と日常。“貧モナ”は、赤いカーテンと白い憂鬱で覆われた「半球ヘモスフィア」であった。プルグノーザは、一から八まで全て頭の中で言語を構築出来た。だからここで商業に困る事はなかった。デルモから届いたコンテナには、真新しい「白い言葉」が満載されていた。生活に言葉は必要ない。ただ、商売するのに必要だった。彼は“pQエイド”でこれらの言葉を加工し、市場に出荷していた。街の邪悪。透明の日常。無垢の言葉はここでは生きられない。不遜と、もしくは無粋と分かっていても、言葉に手を加えるより他ないのだった。朝、昨日の活気と退廃を忘れぬ白む空には、依然、星々が輝いていた。“貧モナ”には「朝の星」がある。これらの星は、物質のやり取りに疲れた人々の、明日を先駆けて“昨日”を知る、黙道の会話であった。日は明けたがまだ明日ではない。明日はもっとずっと遠い所にある。だからエルフィノは、市場で手に入れた「思想」と「感情」で、今日も必死に明日を組み立てていた。プルグノーザの作った“ノノ構文”も含まれていた。明日の形を知る者はない。エルフィノは「思想」の通りに人生を組み立てていった。その人生は、化け物のような形をしていたか。「ノペンチアゴ(農制取引)」ここではそう呼ばれる取り引きがある。“手の加えられていない言葉”と引き換えに「感情」をタダで手に入れる行為である。“貧モナ”の安心成長委員会はこの“自充行為”を禁止している。ここで自分を表現したら立ち直れなくなる。スタンプ・モニカ製の「ハチェット・ナジオ」を読んでいると、やはり言葉は“公式の物”に限ると感じる。人が愚かに世界を記述する時、自分を記述する時、言葉は暴走する。記述の上で世界は崩壊し、書き手の思考を蝕んでいく。一度忘れた方がいい。「Y・イー」と入力すればリプログラム出来る。世界の記述は全て間違っている。
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