お前らもう消えてくれ
いつから俺は「売れる文章」なんぞを目指し始めた?ふざけんなよ。帰れよ馬鹿が。読んでもらうために書くなんて、お前のする事じゃ無いだろう?文章の在り方を決めるのはお前自身だ。人が何と言おうが、どんな文が名文と言われようが、「そんなもんに構うことは無い」。お前が一番知ってるはずだ。
売れるために書こうとすると、出かけた言葉が喉(のど)に突っかかる。「これ、ホントに言っても良いのか?」
いや、いい、もうそんな事も断るな。
頭がおかしい人と思われてればいい。だってそれが事実だろ?
***
はいはーい、ストップ。まあ、まあ。落ち着こ?
何。
口調がキツい人って怖いんだよ。近づきたく無いもん。まるで自分が正しいみたいに、あれはこうだ、これはああだ、と。そういう人が近くに居るだけで、空気が悪くなるの。そういう乱暴な言葉、視界に入って欲しくない。だから、
***
お前の話はいいよ。お前のところでやってろ。誰だか知らないけど。
お前らはさ、気が付いてないんだよ。久々にキレたよ。お前ら物静かな語りしてさぁ、結局何かを断定してるのはお前も同じじゃねぇかよ?それもさぁ、居るよなあ?ですとかますとか言ってる割に、てめーの方こそなんか周り見えなくなって、「一つの結論に向かう直行バス」、口調こそ穏やかだが中身は俺と全く同じ、ためらいも迷いも無く何かを論じてみせるその「自惚れ」に、吐き気がする。
もっと迷えよ。俺を見習って。お前、そんな肯定感持てる程の内容してねえぞ?迷ってる俺のがまだマシなんじゃねぇかもはや?
物静かで賢明な「説得者」様に教えてやるよ。お前が言葉重ねれば重ねるほど、お前の欲しそうな「説得力」とかいう“雰囲気漫画”は手からどんどんこぼれ落ちて行くんだよ。なぜなら、弁解がましいから。たくさん言わなきゃ伝わらない物なのかね?言葉の多さは自信の無さだ。優れたアイデアに説得力は必要ない。それ自体が結果だ。
俺はもうnoteで誰に読んでもらおうとも思わないし、誰の文章も読む気がない。文章なんて所詮なまぬるい。俺ほどに「取り乱す」奴が居るのなら、話はまだ別だが。
作文に身を置きすぎるのは、才能を腐らせる。自己表現が何だったか?自己表現ほど「勘違いな人生」もあるまい。お前に価値があるのかね?表現される方の身にもなってみろ。もう二度と喋らない事だ。
俺が欲しいのは芸術だ。人を攻撃するとき、俺は最も美しくなる。お前の浅はかな自己認識を粉々にしてやった時のお前の顔の“緊張感”。世界は暗くて重くて冷たく、怒りに「才能」が胎動する。不能感。たったひとつの原動力。お前は最も醜い生き物だ。
心配するな。全て自分に言った言葉である。
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