🏥病院(ICU)から帰宅して各所に電話連絡し、🖼遺影写真になるものを探す 10/21(2/2回)
父が入院中ICUに入って病院に行った後、すでに昼だったので、うどん屋に寄って母と昼食をとり、それから帰宅する。
実家に帰る途中も、母が
「私はどうしたらいいとかねえ?」
と言うので、とりあえず、父親の良い写真を探してすぐに(遺影に)使えるように準備しておく。
次に各所、連絡すべきところをチェックする。
(1) 兄
とりあえず父が月曜日に、鬱血性心不全と誤嚥性肺炎で入院したことと、今日ICUに入ったことをメールで伝えておく。
電話しようかとも思ったが、どうせ仕事中なので、夜回し。正直いつ死亡してもおかしくはないが、とりあえずの連絡。
(2) 介護施設
父親が入所していた介護施設。
今現在ICUに入っていると言うことを伝えておく。ただICUに入ったからといって治る可能性がないわけではないので、現段階では部屋はそのままにしておいてもらうようにお願いする。病院に持っていった荷物はICUに入った時点で一旦持ち帰ってきたが、ICUから出て出た場合にはまた必要になるのでこちらの自宅の方で保管する旨伝える。
(3) 整形外科病院
正直、心不全で入院した時点で無理だろうと思っていたが、ICUなので完全に無理だろう。ということで、予約を取っていたがキャンセルの電話をする。見通しが立たないため、延期ではなく、完全キャンセルにした。
(4) 母
また、連絡とはちょっと違うが、うちの母。
本来、今日は粉瘤の措置で、別の総合病院に行く予定だったのである。
変えた予定はさっさと入れておかないと多分忘れられる。
粉瘤の診察予定日を10/25(月)に変更、その場で、うちの母親の後生大事なカレンダーに書き込んでおくように言う。
母親は、父親のいい感じのスナップ写真を探し出してきたところらしく、何故かもう片方の手に、先日撮影した自分の遺影写真(候補)を掴んで、
「これみて。学生さんが撮ってくれたとよ、よかろうが。」
と言っていたが、それはもう5回以上聞いた。
とりあえずカレンダーを書いてくれ。
それにしても、いよいよヤバいと思って、巻きで父の部屋の掃除に取り掛かる。
掃除に関してあまりにも場所塞ぎで邪魔な紙類をガレージに出す。
一割老人会、一割雑紙、残り八割Wikipediaである。ふざけてんのか、有りすぎだろ。
場所がやっと開いてきたので、机とプリンターの位置を本棚から離してずらす。重い。
しかしこれで部屋の中を移動しやすく、スペースに余裕ができた。
なお、母はこの配置を見て、
「あらまあ、よくなったねえ!
本棚が開くし、窓を開け閉めしに行けるよ!」
と言っていた。
前の配置が酷すぎたのではないか(真顔)。
ちなみに今日の掃除でこれが出てきた。
年金特別便、未開封、手付かず。
うちの父の仕業に決まってる。
投げ銭歓迎。頂けたら、心と胃袋の肥やしにします。 具体的には酒肴、本と音楽🎷。 でもおそらく、まずは、心意気をほかの書き手さんにも分けるでしょう。 しかし、投げ銭もいいけれど、読んで気が向いたらスキを押しておいてほしい。