さよなら、バタードウーマン
バタードウーマン(battered woman)て知ってるか?
日本語にすれば「殴られ女」、いわゆるDV被害女性のことだ。
私の母親はそれだった。
父親はちょくちょくキレて殴ってた。
私はそれを見て育った。
うちは父母、兄、私の四人家族で、二人の男と二人の女で構成されていた。
で、兄は憂さ晴らしに私を虐めていた。
子供のことだから大した暴力ではなかったのだろう。
蹴るとか叩くとか、嫌ごと言って揶揄うとか。
だから親も大して気にしていなかった。
親戚の集まりで犬猿の仲だから、とか笑いながら話してた。
でも私には大事だった。
何度もころそうと考えた。
親のこともあったから
暴力に過敏だったせいもあるだろう。
とにかく男は殴るもので、自分は殴られたくないと思ってた。
でも当然のようにそれは訪れる。
多くは性暴力として。時には単純な通り魔的暴力として。
それで物心つく頃には「絶対に殴らない男」を選ぼうとしていた。
男に性的な魅力を感じたことはなかったし興味もなかったが、
中学高校になると男が寄ってくるし、そういうものだと思ってた。
誰か男を選ばねばならないなら、殴らない男を選ばないと。
で、私は上手くそれを選別した。
男っぽくない男。
大人しくて優しくて、体も大きくない男。
おかげで私はバタードウーマンにならずに済んだ。
後で知ったことだが、DV被害者の娘は同じ目に遭う確率が高いそうだ。
だから、自分は上手くやったのだと安堵した。
しかし、だ。
不思議なことに、周りにそれが起こるんだよな。
女友達が殴られる。
知らずに親しくなった子が、殴られ女だったこともある。
なんだ、それ?
でさ、その子らは、他の友達には言わないのに私には言うんだよ。
そのことを。
慰めたり励ましたり、夜通し電話に付き合ったり。
なんとかその状態から抜け出して欲しいと尽力したけど、
無駄だった。
エスカレートした。
もちろん抜けれた子も居た。
そういう子はしばらく音信不通になってる間に抜けてた。
でも関わってる間は、ダメだった。
なんか、自分が招いてんのかなって気がしたよ。
私が、殴られたくなくて、でもその構造を解き明かしたくて。
知りたいと言う思いが、彼女らを犠牲にしてるのかなって。
最終的には、連絡を絶った。
こっちも限界だったので。
それから彼女がどうなったかは知らない。
けど、その時殴ってた男は死んじゃったらしいから、大丈夫だったんじゃないかな。
それ以降、そういうものに近付くのをやめた。
暴力にフォーカスするのもやめた。
もう、うんざりしてたから、自然にやめられた。
自分が危ない目に遭うことも、気がつくと無くなってた。
意識が現実になるってそういうことなんだなと、今は分かる。
だからネガティブなものには、やっぱり意識向けない方がいいね。