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答えなんてあるのか?存在理由。


主人は低気圧になると 自分は何の為に働いているのか、自分は必要なのか、何してるのかと悶々とするらしい。よく言えば思慮深い、反対に言えば考えすぎな人なのだ。主人の呟きを聞いて、確かに自分の存在理由とはなんだろうかと考えてみた。

私は、人は生きている限り何かしらで存在しているとは思う。

自分は家族のために働くために存在してるんだ!

自分は職場で頼りにされてるから存在していいんだ!

と上記のようなことで終わりの話ではない。二文とも間違ってない意見であるが、家庭や職場、趣味の場などから、人の存在理由は一つの面だけで言えるものではないからだ。

妻としての自分、親としての自分、社会人としての自分、嫁としての自分、姉としての自分、長女としての自分、これだけでも六パターンの自分がいてそれぞれの面を持つ。それぞれの立場で異なる存在理由がある。だから一言で自分の存在理由はこれですなどとは言えないのだ。

また、分かりやすい存在理由として、著名人である事と言える。だが著名人であるために存在しているわけではない。著名になる要因が世に存在感を示してるのだと思う。

例えばアップル社の社長だったから、スティーブ・ジョブスは存在価値があるわけではない。数々の功績が素晴らしいからだけではなく、彼のこだわりや情熱によってそれが生まれたから、彼の存在は世に大きく知られることになったではないだろうか?

彼のように、何かの物事や出来事にとことん向き合って形にしていくことで、自分の存在理由は少しはここにあるのだと思えるのではないだろうか?

以上のことから、自分の存在理由はこれだと断言できるものはないが、自分がきちんと向き合っているものに対し有形無形関係なく何かしら結果があるならば、それに対して自分は作用したのだ。つまり存在したのだと言えると私は思う。



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